軽井沢にて、室生犀星の風景〜室生犀星の別荘

室生犀星記念館


私達は教会を後にして、別荘地を散策しました。通りから少し離れただけで、人のざわめきは消えます。別荘地といっても、見晴らしの場所に建っているのではなくて、森の中にゆったりと建っています。
その森の中では時々、滴を集めた葉が重みに耐えきれず、大きな水滴の雨を降らしました。ここは森が深いわけではありませが、月日を経た高木が空が覆ったいるために、外界から隔てられています。カエデ類の、イロハモミジ、オオモミジ、ハウチハカエデなどが葉を湿らし、大きな葉のホオの木が赤い実を付けています。そういった中に、高原の涼やかさを示す白樺の樹皮が見えます。小雨が森を覆うと、森の中の空気が湿って曇り、森が呼吸をしているようです。私達もその中では、森の一部として呼吸をしているように思えます。
この森の中の川辺の一角に、室生犀星さんの詩碑があります。文学賞を取った氏が記念に自らの私費で作った物だそうです。文学碑には、詩「切なき思ひぞ知る」が刻まれています。

我は張りつめたる氷を愛す
斯《かか》る切なき思ひを愛す
我はそれらの輝けるを見たり
斯る花にあらざる花を愛す
我は氷の奥にあるものに同感す
我はつねに狭小《けうせう》なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟《しんぎん》せり
さればこそ張りつめたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す

軽井沢を愛した氏の文学碑は、笹に囲われて天水の滴を垂らしていました。ここは川の傍です。冬の日であれば湿った空気が霜となり、うっすらと文学碑を包むかもしれません。石川県で生まれ、上京し、自らの故郷や生い立ちへの思いを詩や小説に刻んでいった氏。その氏が自らの私費を投じて作った場所、そして自ら刻むことを選んだ詩、これらは氏の作品と同じく生き方を感じさせられるものでありました。
私達はその後川沿いに別荘地を下り、室生犀星記念館へと向かいました。この記念館は氏の別荘を保存して一般に公開している施設です。氏は亡くなる前年まで30年間、毎年ここで夏を過ごし、また、疎開時には此処で5年間暮らしています。
苔むした中に、当時はまだ若かったであろうハウチハカエデの木が、美しい樹形で庭を作っています。その中の建物は、離れと母屋の二つに分かれており、おそらく友人が来た時などには離れの畳の上に座り、美しい自然の中でこの風景を語り合ったのでしょう。そして母屋の一角には机と椅子が一脚おけるのみ小さな部屋がありました。おそらく此処は氏が作品を構成していった書斎だったのでしょう。
私は自然の空気を感じていると、人は作品にどのように向かっていくべきかということを考えるようになります。そして、自分が無意識に行っている行動に、注意が向くようになります。たとえば普段お茶を飲む時、お茶碗を口元に運ぶ動作は無意識に行われるでしょう。しかし、そういった無意識の行動に意識が向くのです。そして、普段無意識に行っていることに意識が向かうと、その意識が向かっている間他の一切の雑念が振り払われ、その事のみに心が向いているのに気付くのです。
この信州の自然は、そういった物事に集中する事を許す場所だと思います。私が会社で仕事をしている時は、電話が鳴れば出なければなりませんし、来客があれば対応を、上司が話せば耳を立てなければなりません。これは日々の大半を、気を散らして生活をしているということです。雑念無く意識が一つに向かっているような状態、その対極にあるのが私の普段の生活です。
しかし、この軽井沢の自然の中で空気を吸っていると、私が本来あるべき気の姿に戻ることが出来ます。こういった気の状態で、躰の全てを作品に集中することの出来る人間が、文章を書いていくことが出来る人間なのではないでしょうか。私は街にいて、そのようには無い者です。しかしこういった所に来ると、私は少なくともそれが大切だと感じる事が出来る人間ではあります。だから私のような出来損ないの人間は、せめてこの軽井沢の様な場所に来て自然の力を借りて、一つ一つの言葉に向かうべきではないかと思うのですが。
室生犀星氏がどういう容姿であったかは写真等で知っています。氏がこの別荘の机に座り、筆を取っている姿は、とても静謐なものだと思えました。