軽井沢にて、浅間は見えず〜詩人の風景

巨人の足跡


私達は4日間軽井沢に滞在しましたが、天候は優れませんでした。しかし最終日は良く晴れ渡ったので、浅間山へ向かうことにしました。中軽井沢の駅からは、大きな浅間を見ることが出来ます。浅間は幾度も噴火を繰り返したため、富士山の様な美しい円錐形ではありませんが、軽井沢からは空の高みにあるシンボル的な山です。
私達は鬼押し出しの付近でバスを降り、周辺のハイキングコースを歩きました。この辺りは流れ出した溶岩が固まって剥き出し、鬼押し出しと呼ばれる場所です。鬼押し出しという名の如く、いびつを貫いたような岩が重なり合い、地震で荒れ果てた大地のように互いに迫り出しています。
この風景で不思議と思われることは、いびつな溶岩ではなくて樹木が生い茂っていることです。シラカンバ、ダケカンバ、ナナカマド、松など、平地で見られたケヤキやホオの樹木ではなく、高原樹木が生い茂っています。そしてそられの木々は、溶岩の隙間や溶岩の上に根を張っており、まるで溶岩から生えているようです。標高の高いところは風も強く、しっかりと根を張っていなければ倒されてしまいます。
ここは熱い溶岩が襲ってから200年程過ぎているそうですが、溶岩の間から木が生えている様子はいかにも不可思議な感じであり、彼らの根は僅かな表面の下でいったいどうなっているのか、或いは彼らの養分はどこから吸収しているのかとなど不思議に思いました。きっとこの岩の間を絡みつくように根が張っているのでしょう。こういう生存の厳しい場所に来ると、植物の生命の強さをつくづく感じさせられます。
さて、ここからの眺めは格別で、日光の男体山や、谷川岳、アルプスの山々を見ることが出来ます。そしてこの浅間山とそれらの山々の間には、広大な高原が広がっています。私の友人の「東北とはスケールが違う」と言う通り、このように山と山の間に高原が広がる風景は東北には見られないものです。東北には奥羽山脈が走っているので山には不自由しませんが、それらの山々は編み目のように連なっていて、これほど広大な高原を残してはいません。本州の地形を見ると長野の辺りは日本海と太平洋の距離が離れているために、険しい山が連なっていても、広大な高原を挟む余裕があるのかもしれません。
この浅間の情景はかつての詩人達に愛されました。信州の自然を愛し、そしてそこで多くの詩を作った2人の詩人、立原と津村。二人とも東京に住みながら、この信州での詩を多く残しました。この浅間の空気を吸うことによって、私は彼らの詩をより深く味わうことが出来るように思います。

のちのおもひに(立原道造


夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を


うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……


夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには


夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

風土によせて(津村信夫


小粒な葡萄《ぶだう》
浅間の葡萄
私は もう
幾年もたべたことがない
初夏の火山の麓を走る
汽車の歩みは
まことにのろい
岩石の間から
白雲の湧くやうな――
そんな壮《さか》んな風景の中で
汽車は ごくんと急に停つた
真昼の静寂《しじま》
緑の木蔭で
杜鵑《ほととぎす》が鳴いてゐた
さうして
浅間の原の日光《ひかり》と風に
私は思ひ出してゐた
もう幾年もたべてみない
あんな小さな一つの自然を

立原さんの詩も、津村さんの詩も、信州の大きな自然と自分達が過ごしたその日々を大切に思う詩です。津村さんが詠んだ浅間のぶどうとは、どの実のことでしょうか。私はこの浅間で、雲を見ていました。高原の木々はまだ色づいていないものの、秋が近づいていることを知っています。夏草の花々は去り、ナナカマドは真っ赤な実をつけていました。私にはこの自然の中で真っ赤に色づくナナカマドの実が、あんな小さな一つの自然ではないかと、本当に真っ赤に、葉を忘れさせる程たわわに実っていたのです。
雲はまだ夏を残し、くっきりと青空にあります。広い高原を悠々と行き、その下に影を作っていました。私は最近になるまで、雲の影が山に写っているのに気付くことがありませんでした。中原中也の詩にある「田の面を過ぎる、昔の巨人の姿(少年時)」ということがわかりませんでした。しかし日光で高原を歩いたとき、ふと山に雲の影が写っているのを見て、この巨人の事を知りました。ここでもまた、軽井沢の高原の森を、巨人の足跡が過ぎていきます。友人にこのことを話したら、そんなことも知らなかったのといわれましたが、私と同じように街に育った子供は、この巨人の姿を知ることがないかもしれません。
雲は山にたどり着くと、上の方に、浅間の山に沿ってひょうひょうと上っていきます。この社会に何を負っているわけではない、彼らは自由に山を上がっていきます。街の方からきて、山の向こうの方へ。私は山登りをします。その時の私は、本当に重たげな物を持って、登っていきます。山の上に何かがあるわけではないのに、何かから自由になりたいと登っていったりするのです。
海に来ると空をとても広く感じますが、山に来ると、空が本当に青いことを感じます。空とは果てしないものだから、私達は雲の高さで空の高さを感じるのかもしれません。海の上の空は高く、そして山の上の空は青いのです。行雲流水のごとく、雲は世界を知る片方の物。雲のようにありたい、私はそう思いながら浅間を歩いて行きました。