信濃追分〜詩の風景〜

辛夷(追分一里塚)


軽井沢からしなの鉄道で二駅の所に、信濃追分駅という駅があります。そこは軽井沢のハイカラな雰囲気とは違い、東北の無人駅にある様な駅前から林が広がる所です。信濃追分駅のホームからは、線路に沿って迫り出すブロッコリーの状の森が見え、カーブを走る電車はその中を誇らしげに走っていきます。
この駅からさらに20分程歩いて、追分宿という所に向かいます。道沿いの林の間、畑が広がっている所では、美しい高原の樹木がシンと立っている姿が見えます。高原の樹木のスペード型の小さな葉は、空を覆うのではなく枝にまばらに付いて、風が吹くと大きなぺんぺん草の様に揺れました。そしてその畑の先の唐松林、唐松林から浅間の裾野へ、緑は段々と深く登っていき浅間の山を覆っていきます。私が訪れた時、その浅間の山は、くしゃみがでそうな程の軽い雪を乗せて肌を白くしていました。
この追分宿と言うところは、江戸時代に参勤交代の宿場町として栄えた所で、昭和の初めには文人達、堀辰雄立原道造らが訪れ、ここを舞台にした小説や詩を残しました。ここはそういった有名な所でありながら、今でも華やかな観光地になるわけではなく、家々は林に囲まれてこぢんまりとしてあり、道沿いでも驚くほどの立派な木を見る事が出来ます。
この季節、木々の葉が果実の様に自ら熟していく一方で、幹が順番を選んで自分の育ててきた葉を切り捨てるという寂しい季節、それは私にとってとても懐かしいものです。風が寂しさを伴ってすり抜けていく野山、かつて私が東北の渓谷や山を歩いていた日々、歩いて行くに従って満たされていく枯葉の思い、そういった友が思い出されます。私はそういった中を、一人口笛を吹きながら歩くと、ここから見える風景は本当にかつての文人達が夢見た大きな自然を持っているのだと言う事を本当に感じられてならないのです。
追分宿の入口には、一里塚の辛夷の木が枝を広げています。一里塚と言いますと榎などの木が多く、今でもその大木を見かけたりしますが、ここでは辛夷の木が当時のまま残されているようです。辛夷といえば、追分を愛した小説家の堀辰雄は「辛夷の花」という小説で、雪の季節の辛夷の花について書いています。
みなさんは辛夷の実を見た事があるでしょうか。どういった実かを説明するのは難しいのですが、例えば、新幹線の駅などでミカンが詰められて売られているあの網の袋。あの袋にもう少し小さい胡桃なんかをたくさん入れてみると、網の形が崩れてごつごつとした形になっています。辛夷の実はそういったごつごつが連なった感じで生っています。実がまだ熟していない時はその網目が緑色で、内側の実がほんのり桃色に染まっているのみであまり目立たないのですが、熟してくると実が赤くなりその袋は裂けて朱色の実がぶら下がります。その追分の辛夷の木には、熟した朱い実がたくさん垂れ下がっていました。残念ながら花はまだ見たことがありません。
私は山の中などを歩き、自然をか感じて生きていくのが好きなのですが、みなさんはどのような所に来たら、自分が自然の中にいるような感じがしますか。ここは林の木々の方が家の高さよりも高く、普段と変わらない2階建ての家も屋根に枯葉などが被って、自然の中にとけ込んでいるように感じます。
ここら辺の家や宿などの中には、家の壁や塀などが少し崩れかかっていたり、表札の色や壁の色が薄くなっていたりする所もあるのですが、その玄関の脇にある白樺の木や朴の木などは、背が高くて枝振りも美しく本当に見事だったりするのです。そしてそういった家の奥には林が広がっていて、それぞれの家が自分の林を持っているような風景が此処には残っています。
そしてここからは山、天気が良ければどこからでも浅間が見え、或いは天気が悪かったとしても、モヤがかかった裾野の先に雲に隠れて荘厳な浅間を想像する事が出来ます。私はそのようにしてこの追分の中の小道を、針葉樹の細かい木々の葉が積もって茶色くなった道を、一人歩いていきました。