堀辰雄文学記念館

旧堀辰雄邸


軽井沢から続く国道沿いの道を歩き、一里塚を示す辛夷の木の所で横道の方に入ります。ここから先に追分宿はあり、追分宿及び軽井沢町西地区の資料を集めた追分宿記念館、浅間山の怒りを静めるための浅間神社、四季の人達が常宿とした油屋、そして目的の堀辰雄文学記念館があります。
道の脇には年月を経た宿が連なり、追分の歴史を説明する立札なども見られます。そういう道の途中に、「夢のはこ」と書かれた書棚が置かれていました。これは灯籠の様な形の棚で、灯籠の部分にガラス窓が取り付けられていて本が並べられた物です。その下の「夢のはことは」という説明によると、

青空文庫のきまり
一.本の出し入れは自由です。
一.借りる人は一冊にして下さい。
  蔵書にされる方は代わりの本を置いてください。

とあります。蔵書にする際の断り書きは面白いですね。ここでしか見られないかも知れません。こういった書棚は地方でよく見かけたりしますが、懐かしい気持ちにさせるものです。
私は以前色々な所を旅したりしました。あてもなく車窓の景色を眺め、一日の列車の本数が十本に満たないような駅で何となく降りてしまうと、次の列車まで本当に時間が残っているものです。そういった時には駅に置いてある書棚から日に焼けた本を一冊取り出して、海岸の寒さを癒すストーブに当たりながら静まりかえった時間をよく過ごしたものでした。
この通り沿いの、一里塚と追分分別れの中間ぐらいの所に堀辰雄文学記念館はあります。いまさら言う必要もありませんが、堀辰雄は昭和初期に活躍した日本を代表する作家の一人で、高原の夏のさわやかな雰囲気の中でのほのかな恋の作品から、生と死を深く見つめた雪の高原での作品まで、軽井沢を舞台にした作品を多く作りました。代表作には、「ルウペンスの偽画」「聖家族」「美しい村」「風立ちぬ」「菜穂子」「大和路・信濃路」「曠野」などがあります。
堀辰雄室生犀星芥川龍之介に支持し、大正12年に室生犀星に連れられて軽井沢を訪れたといわれています。室生犀星も軽井沢を愛した一人で、軽井沢に別荘を構えていました。堀辰雄はその後も毎年のように軽井沢を訪れ、夏の数ヶ月をそこで過ごしていきました。そして、死の2年前にはこの軽井沢に宅を構え、病の床にあった晩年を、北に浅間山が見え南に八ヶ岳連峰が見える場所で過ごしました。
ここ堀辰雄記念館は、没後40年の平成5年に開館されました。この記念館には、堀辰雄の旧宅と書庫・愛読書が、かつての形のままで保存されていると共に、展示室が設けられ自筆の原稿や初版本、かつて使っていた帽子や衣服などが展示されています。
私が訪れた時には、「堀辰雄と雪」という企画展が行われていました。堀辰雄が軽井沢を訪れていたのは主に夏とされていますが、堀辰雄の作品の多くは少しシーズンから外れた時期の高原が舞台となってします。そしてまた、避暑とは無縁の冬の季節についてもその筆を残しており、「匈奴の森など」「雉子日記」「風たちぬ」「斑雪」「辛夷の花」「菜穂子」「雪の上の足跡」で高原の雪の風土が語られています。
この企画展でそれらの話の一部が示されていたのですが、描かれている雪の景色は総じて明るく、実際の信濃の冬はかなり厳しいものだと思うのですが、その中での人間達の会話は雪の中でガス燈の明かりのように暖かいもののように感じます。
例えば「風たちぬ」で雪の情景が登場するのは、婚約者をなくし、かつての思い出と共にあるために冬の高原で時を送るという寂しげなものですが、雪景色の中でかつての暖かい思い出が主人公を包み、或る意味でその寂しいはずの状態すらも幸せの状態に思わせられるものです。これらの感覚を思わせるのは、堀辰雄という人間がもつ人間性かもしれませんし、堀或いは私達が持つ信濃という高原に対する憧れのようなものなのかもしれません。
これを自分の故郷である東北にあてはめてみると、とてもそのような幸福な日々にならないように思います。雪に覆われる東北の地域で冬を過ごすと言うことは、とても困難を要するもので、肉体とてして厳しい物であると同時に、冬の雪というものがもたらす絶対的な静けさの中で、自分自身或いは何らかの記憶と否応なしに向き合わなければならないものです。私自身に思い出に浸る人物などを登場させようとすると、話の最後にその人物は雪景色の中で自ら土に帰っていくことになるように思えます。
私は今まで自分が死んでいく時を「土に還る」と言い表していましたが、こう東北から離れて冬が近づいても一向に静まらない街にいると、かつて山間の工場の窓から雪が降り積る様をじっと眺めていた時の事を思い出し、自分という人間は「土に還る」のではなくて「雪に還る」のではないかと、そう感じられてくるのでした。