堀辰雄の小説の中での立原道造の思い出

浅間山初冠雪


堀辰雄文学記念館で、希望者に堀辰雄の作品「雪の上の足跡」のコピーを配っていたので、それを頂いて帰りました。堀辰雄の作品はまだまだ読んだ事の無い作品が残ってあり、この作品もその一つでした。
この話は企画展の「堀辰雄と雪」にも関係していますが、作品のタイトル通り冬の軽井沢についての話です。追分宿付近の雪の野の風景を舞台に、堀自身に重ねられた主とそこを訪れた学生が、雪の上に残された足跡についての何気ない会話を交わし、そして学生が最近関心のある外国の文学作品について意見を述べると、主はそれに対して聖書などを引用して答えながら、自分の過去の思い出を雪の中で深めていくという話です。
そして、この作品の中には立原道造についての思い出が少し述べられおり、前回は立原から掘辰雄への葉書を紹介しましたので、今回は堀辰雄の作品の中での立原道造に対する思い出の部分を引用しておきたいと思います。
この作品は昭和25年の作品ですから、既に立原が無くなった後での作品です(立原道造は昭和14年没)。

 主 やあ、どこへ行ったかと思ったら、雪だらけになって帰って来たね。
 学生 林の中を歩いて来ました。雑木林の中なぞは随分雪が深いのですね。どうかすると、腰のあたりまで雪の中に埋まってしまいます。獣(けだもの)の足跡が一めんについているので、そんな上なら大丈夫かとおもって、足を踏みこむと、その下が藪(やぶ)になっていたりして、飛んだ目に逢ったりしました。
 主 君と、兎なんぞが一しょになるものかね。それに、もういくぶん春めいて来ているから、凍雪(しみゆき)もゆるんで来ているのだろう。だが、そうやって雪の中が歩けてきたら、さぞ好い気もちだろうなあ。
 学生 ええ、実に愉快でした。歩きながら、立原道造さんの詩にも、こうやって林の中をひとりで歩きながら、深い雪の底に夏の日に咲いていた花がそのまま隠れているような気がしたり、蝶の飛んでいる幻を見たりするような詩があったのを思い出しました。
 主 立原は、僕がはじめてここで冬を越したとき、二月になってからやって来た。あいにく僕が病気で寝こんでいたので、君のように、ひとりで林の中を雪だらけになって歩いて帰って来たっけ。そのときの詩だろう。もう七八年前になるかなあ。……どうだい、狐のやつの足跡はついていなかったかい?
〜(略)〜
 学生(目をつぶりながら)「鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ」――凄いなあ。
 主 そんな句がみごとに浮ぶこともある。かとおもうと、随分くだらないことを思い出して、いつまでもひとりで感傷的な気分になっていることもある。或日などは、昔、村の雑貨店で買った十銭の雑記帳の表紙の絵をおもい浮べていた。雪のなかに半ば埋もれて夕日を浴びている一軒の山小屋と、その向うの夕焼けのした森と、それからわが家に帰ってゆく主人と犬と、――まあ、そういった絵はがきじみた紋切型の絵だ。或日、その雑記帳を買ってきて僕がなんということもなくその表紙の絵をスゥイスあたりの冬景色だろう位におもって見ていたら、宿の主人がそばから見て、それは軽井沢の絵ですね、とすこしも疑わずに言うので、しまいには僕まで、これはひょっとしたら軽井沢の何処かに、冬になって、すっかり雪に埋まってしまうと、これとそっくりな風景がひとりでに出来あがるのかもしれない、と思い出したものだ。そうしたら急に、こんな絵はがきのような山小屋で、一冬、犬でも飼うて、暮らしたくなった。その夢はそれからやっと二三年立って実現された。――その冬は、おもいがけず悲しい思い出になったが、それはともかくも、あの頃の――立原などもまだ生きていて一しょに遊んでいた頃の僕たちときたら、まだ若々しく、そんな他愛のない夢にも自分の一生を賭(か)けるようなことまでしかねなかった。まあ、そういう時代のかたみのようなものだが、――その十銭の雑記帳の表紙の絵を、僕はこういう落日を前にして、しみじみと思い浮べているようなこともあるしね。……だが、きょうは、君のおかげで、枯木林のなかの落日の光景がうかぶ。雪の面(おもて)には木々の影がいくすじとなく異様に長ながと横わっている。それがこころもち紫がかっている。どこかで頬白がかすかに啼(な)きながら枝移りしている。聞えるものはたったそれだけ。(そのまま目をつぶる。)そのあたりには兎やら雉子(きじ)やらのみだれた足跡がついている。そうしてそんな中に雑(ま)じって、一すじだけ、誰かの足跡が幽(かす)かについている。それは僕自身のだか、立原のだか……。

(冒頭と末尾に立原道造に関する記述があり、その部分のみを引用しています。繋がりが分からないと思いますが、全文は青空文庫にありますのでそちらをご覧下さい。「青空文庫 堀辰雄 雪の上の足跡」より引用)
この小説の冒頭に述べられている、「雪の底に夏の日に咲いていた花」や「蝶の飛んでいる幻」という記述から立原さんの詩を探してみたところ、次の「ひとり林に……」という詩が該当しました。

ひとり林に……


山のみねの いただきの ぎざぎざの上
あるのは 青く淡い色 あれは空
空のかげに かがやく日 空のおくに
ながれる雲……私はおもふ 空のあちこちを


夏の日に咲いてゐた 百合の花も ゆふすげも
薊(あざみ)の花も かたい雪の底に かくれてゐる
みどりの草も いまはなく 梢の影が
葵色の こまかい線を 編んでゐる


ふと過ぎる……あれは頬白 あれは鶸(ひは)!
透いた林のあちらには 山のみねのぎざぎざが
ながめてゐる 私を 私たちを 村を――


すべてに 休みがある ふかい息をつきながら
耳からとほく 風と風とが ささやきかはしてゐる
――ああ この真白い野に 蝶を飛ばせよ!……

「夏の日に咲いていた花が かたい雪の底にかくれてゐる」、春が近づいて緩んできた雪の粒が日に光って眩しい印象を受ける立原道造の詩です。堀さんはその時の風景を学生という若い輝いている人物を小説の中で作り、追分の自然を語らせる事で立原さんの詩が詠まれたような情景を表したのでしょう。堀辰雄立原道造の交友関係が互いに暖かいものだった事がわかります。
終わりの方の、目をつぶって雪の上の足跡について思う所などは、堀辰雄が雪の景色を眺め次第に体を病んでいく中で、立原さんら先に行ってしまった仲間達とかつて過ごしたこの追分で共にありたい、また、かつて私達は互いにこのような所で共にありたかったという思いが伝わってくるようです。
実際に堀辰雄は、この小説を出した翌年の昭和26年に軽井沢に新居を建て引っ越しています。堀辰雄さんは病の床で、この高原の雪を見てそのなかに何を見ていたのでしょうか。「風立ちぬ」の死のかげの谷の章でもそうですが、堀辰雄にとって雪とは、自分の大切な思い出をよみがえらせるものであり、また、その思い出と共にあることが出来る季節だったのかもしれません。そして堀辰雄は、何よりそういった自分の恋人や友を大切にした人だったのだと思います。
最後に、彼らの詩・小説から受ける雪の高原の印象は、雪の結晶を広げた様な樅の枝や、草を跳ねる昆虫の様な足跡を残していく動物達、そういった「うれしさ」が隠れているような気がして、まだ見たことの無い夢の世界が広がっているように思えます。私は東北の人間ですので、雪の世界を感じるのは新しいことではないのですが、信濃の冬、詩人達の夢が堅い雪の下に埋もれているかもしれない世界を訪れてみたいと思います。