不思議な川辺で

 私はおまへの死を信じる。おまへは死んだと、だれも私には告げない。また私はおまへの死の床《とこ》に立ち会わなかつた。それにも拘らず私は信じる、おまへがひとりさびしく死んで行つたと。――それはおそらく夜の明けようとするときだつたらう、おまへは前の晩なんのこともなく平常《へいせい》のとほりに寝床にはいつた、そしていくらか寝苦しかつたにしろ、おまへの眠りは平和だつた、、そして人びとはおまへの眼ざめを待つてゐる、そんなときだつたらう、おまへは白《しら》んで来る幾分つめたい夜の明けの空気のなかで、こときれて見出されねばならない。誰か手をくだしたのでもない、死の天使さへもが知らないだろう。しかしおまへは死んでゐる。外の昼間の光で甘い死のなかに休む姿は美しくかがやく。人びとは追憶と悔いのなかにおまへを呼びかへさうとする、しかしそれはむだだ、おまへは帰らない、何の形見もなく……私は信じる、おまへは死んでしまつた、と。
 しらべの絶えた笛をふところにして私はいつもやつて来る。そこがおまへと出会ふ約束の場所だつた、この川のほとりに。水にその根をひたした草たちはザワザワとその葉を鳴らす、それはさびしい音楽だ、自分の心のなかに音楽を失つた私の心を、それの悲哀で慰めてくれるさびしい音楽だ。私はそのなかにいつまでもさまよふのをこのむ。そしてながれの水が私の姿を映すのを、また私の上の空ゆく雲を映すのを、ながめているのをこのむ。いかなる時であらうと、私は誘はれる、楽しく切なかつた時々のおもひに――。朝ならば露に濡れて立つてゐた私たちだ、夕ならば夕やけ空に響きの眼を見はつた私たちだ。しかし今それらのおもひは何と苦しく胸をしめつけるのであらう。……
 それは或る昼だつた。暑く灼けた日であつた。空には何か見知らないめづらしいもの心を誘ふものがあつた。私はいつものやうに水辺の草に身を横たへて高い空に眼をやつてゐた、私を蔽ふ影をつくつてゐる樹木の葉たちのこまかいそよぎにもかたまりかけては消えてゆく雲の営みにも心はとまらなかつた。ただたつたひとつのこともし過ぎたあの時が今かうしておもひ出されるなら、今はあの時――それはいつかやつてくるあの時にはどんな風にして私におもひ返されるだろうか。友もなく、たつたひとりぼつちに、過ぎた時のおもかげを追ふ、かうして夢みながらすごされる時間は果して何かの形を持つだらうか……私はこのやうな思ひのなかばで、いつか浅い眠りにはいつて行つた。オルフエの眠りであつた。おまへと語らふ、ほんのつかの間だつた。風のさわめきがここでもとほくの歌や小鳥のさへづりにまざつてきかれた、それはサワサワと草の葉とささやいてゐた、またヒラヒラするひろい木の葉とたはむれてゐた、おまへは、生きてゐたときのやうにややよそよそしく私にはほほゑんだ、……そのとき私は不意に呼びさまされた。私の名を呼ぶ声に。見ひらいた私の眼には高い空があるきりだつた。だれだらう?私の名を呼んだのは!……私は身をおこした。私は誰も見出すことは出来なかつた。私にはそれがいぶかしかつた。しかしそれ以上怪しみはしなかつた。私はしばらくの夢のつづきのやうなうつとりとした気分にひたつてゐた。
 それは私がいつもこの場所を立ち去るときにするならはしであつたが、私は水のなかをのぞきこんだ。そこには高い高い夕ぐれ近くなつた空のいろがくろずんでうつつた、そして一かけのあはい雲がながれた。そしてややくらく私の顔がうつつた……しかしそれだけではなかつた、私の肩ごしに私の顔を覗きこむやうにおまへの顔がそこにはあるのだ、夢のつづきのやうにややよそよそしくほほゑみながら。私はふりかへつた、しかし私は誰の姿も見なかつた。――私は水の上に、おまへの顔がぢつと私を見つめてほほゑんでゐるのをふたたび見た。その底には藻草がながれに揺れてゐた。水のにほひがしてゐた。私は不思議な感動にひたりながら、いつまでも、そのおまへが私にはやうやく見えなくなるまで、立ちつくしてゐた――なぜその浅いながれに身を打ちつけなかつたのだらう! ただ私はぢつと身動きもせずに、言葉もなく立つてゐたのだ。……