一本の木がある

一本の木がある
曲がりくねつた木だ
くるしみ
くるしみ
くるしみぬいてきた木は
いまはどんな暴風《あらし》にも怖れず
日光をほかほかとあびて
そして静穏《しづか》に立つてゐる

こゝは寂しいはらつぱ
もえたちさうな枯草
冬だ
ずつとはなれたところに二三人のひとかげが見える
みんな老媼《としより》らしい
みんな銘々におもさうな枯木の枝をせおつてゐる
おくのおくの
大きなふかい雑木林の中から
そこへでてきたらしい

ほんとに静かだ
鳥も鳴いてゐない
日光をほかほかとあびて
わたしのまへには葉つぱ一つ葉つけてゐない
ただ一本の
頑丈な木がたつてゐるばかりだ
それだけである

そして木は語つてゐる
わたしに
言葉にもない
書物にもない
或る一つのことを
たつた一つの真実をこめたはなしを
しみじみと無言で……
ほんとにほんとに何んといふ静かさだらう

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