一本すんなりと立つた木がある
あちらに四五本
こちらに七八本と
塊りあつてゐる木立がある
さうかとおもふとびつしり密集してゐるところもある
ひよろひよろと痩せて寂しくたつてゐるのや
曲りくねつたのや
むつまじく肩を組んでゐるのや
いきいきと輝いてゐるのや
幸福さうに見えるのや
くるしみくるしんできたやうなのはみな老木だ
どんなことでも知りつくしてゐるやうにみえる老木は
いかにも静かだ
おちつきがでてきたのだ
木がこの天地の間にあつて
どつしりとおちついてくるやうになると
そこに尊厳が自《おのづか》ら加つてくるやうだ
そしてその深い深いところでは
大きななつかしさを見せるやうになる
さうした木をみると
だれでも
いのちといふことを
そして生きてゐることを沁々おもふだらう
老木のぐるりには
稚《わか》い木がある
ひらひらと可愛い葉つぱをうごかしてゐるのは
あかんぼの木だ
その上にそれをかばつて伸ばしてゐる手のやうな梢

雨がふると
びつしよりぬれ
日が照るとひかりを浴び
どんな木でも
木といふ木はみな
何といふこともなくたゞ生長してゐる
山上高くたつてゐるもの
谷間を暗くこめてゐるもの
丘の上のもの
水のほとりのもの
それがために世界はこんなにうつくしいのだ
ときとすると
茫々とした大きな野原のなかなどで
章魚《たこ》が足でものばしたやうに枝をのばして
葉つぱ一つ葉つけない
冬枯の
あれ錆びた木をみることがある
それにはきつと鳥がとまつてゐる
鴉がぽろりと一羽
啼きもしないでとまつてゐる
さうでなければ
雀がこぼれるほどむらがつて
まるで戦争でもしてゐるやうに
がやがや喋舌《しやべ》つて騒いでゐることもある
それに夕日がかつと射したりして
いゝ風景《けしき》だ

どんな木でも
木といふ木はみないゝ
それは木ばかりではないけれど
ことさらに木はいゝ
何といふこともなくたゞ生長してゐるところが
たまらなくいゝ
そして木は
大きな木ほど立派である

いま自分のすんでゐるところに近く森林があるので
自分はしばしばそこへ行く
そして大きな木木をみる
腹が立つとそこへゆく
かなしいとそこへゆく
うれしいとそこへゆく
つかれるとそこへゆく
気が腐つてくるとそこへゆく
ゐてもたつてもゐられなくなると
あわてゝそこへゆく
そして大きな木木をみる
大きな木木だ
その幹はどれもこれもまるで胴体のやうに太い
それが群像のやうに立つてゐるのだ
ふりあふぐと
梢や葉つぱのあひだから
小さな蒼空をぽつぽつとみせてゐる
そんな大きな木ばかり
日光が射さないので
その木木のしたかげはしつとりといつでも湿つて
そこにはいぢけた草や苔などが
いぢらしいほど小さい花を飾つてゐる
またそこにはさまざまの小鳥がゐて啼いてゐる
まるで大きな古いむかしながらの
伽藍の中にでもはいつたやうに
そこはしづかだ
しいんとしてゐる
それでゐてその木木の間にゐると
大きな重いどつしりとした力で
ぐつとおさへつけられるやうだ
身動きもならないやうに
そしてそこでは咳払ひ一つするのもゆるされない
自分はふるへるほど冷くなつては
そこからでてくるのだ
けれどそこからでてきて
ぱつと日光に触れるともうどんなときでも
自分は穏かな海のやうになつてゐる
とつぷりと満たされた自分だ
諸々《さまざま》の木であるが
ほとんど落葉樹はない
樫がある
椎がある
黒松がある
樅や槙がある
山毛欅がある
それらが天にそゝり立つてゐるのだ
それがたがひに空間を
それぞれすき勝手な姿勢をとつて
大きな蛇のやうにうねりくねつてゐるのだ
そのうつくしさは
たゞのうつくしさではない
静かなその胴体のやうな幹だけみてゐてもぞくぞくするが
木木はなんといつても大暴風の日だ
それはもの凄く
それは勇壮である
天地も裂けよととゞろきわたる雷をともなひ
刃のやうな稲妻をはなち
おそろしい雲に乗り
その雲を鞭打ち
銀の鏃《やじり》の雨をそゝいできたあらし
千万無数のあれくるふ猛獣
角をふりたて牙を鳴らして
ひしめき蹴散らしのしかゝるあらし
あらしのはゞたき
それをまともに睨《にら》んだ木木
びくともせず
大地にふかく足を踏んばり
大手をひろげて立つたその木木
髪毛をばふりみだし
くみつき
つきのけ
おしもどし
はねかへし
咆哮《ほえたけ》る
木木をみろ
木木は千古のつはものである
而《しか》も梢の小鳥の巣一つおとしはしない

いま木木は静かである
森林は海底《うみそこ》でゞもあるやうに静かである
紗《うすもも》のやうなそよかぜに木木は浸され
ふかいふかいちんもくに浸され
そのちんもくのふところの
大きなおほきな力もすべてひたされて静かである
はつきりとさはやかである
天心《てんしん》でないてゐる蝉もきこえる
しんしんと雨のやうだ
このこゑごゑからふつてくる細い霧でしつとりと
木木はきよらかに濡れてゐる
こんな日もある
めづらしいことだが
けふの自分は自分からもう木になつてゐるのだ

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