かなしくなったときは(3)〜日本歌曲〜

gravity22006-06-12


かなしくなったときは(2)から|

日本歌曲

奏楽堂の中の舞台では、ピアノの演奏がされていて、そのピアノの脇の舞台中央では、男の人があまり聞き慣れない発声で歌を独唱していました。それは、クラシック曲の独唱部分やオペラの歌唱部分の歌い方に似ていました。
この曲はどういう曲なのだろうと思い、入口でもらった予選参加者の歌唱曲リストを広げてみると、「詩」「曲」という文字の脇に名前が記されていて、「詩」の方には北原白秋や野口雨情らの名前が、「曲」の方には中田義直や山田耕筰らの名前が記されていました。「歌詞」ではなくて、「詩」という形で名前が記されているところに特徴があるのかもしれません。しかし残念ながら、「日本歌曲」がいったいどういうものであるのかについては、今インターネットを検索してみても、辞書を引いてみても、説明に辿りつくことは出来ませんでした。
私はそのまま、入れ替わり立ち替わりに、何人かが歌うのを聞いていました。歌っていたのは男性よりも、女性の方が多かったと思います。男性の方は、正装をするといっても、タキシードかスーツになるぐらいしか選択肢がないので代わり映えがしないのですが、女性の方は、深い輝き持つ上下が繋がっている服を着ていました。こういう服は、こういう場所特有のものですね。
この一次予選では、一人の人が歌う曲は二曲であり、一曲は課題曲で、山田耕筰の曲から任意の一曲、そしてもう一曲は自由曲でした。これらは、少し前の時代の曲であるために、一曲の時間が短いので、あわただしく人が入れ替わってしまい、じっくりと歌い方を聞けないのが残念なところです。
そのうえ、コンクールというのはやはり厳しいもので、おそらく時間制限によるものだと思いますが、歌っている途中にチャイムが鳴らされて、途中で歌うことを止められた人もいました。けれどもその人は、動揺を見せずに姿勢を正してから、会場に向かって深いお辞儀をして奥に下がっていきました。コンクールであっても人に歌を聴かせているというその姿勢は、たいへん印象づけられるものでした。

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