にしき木の捲

槇原《まきばら》に夕草床布《ゆふぐさどこし》きまろびて
淡日《あわひ》影《かげ》旅の額《ぬか》にさしくる丘、
千秋古《ちあきふ》る吐息なしてい湧く風に
ましら雲遠《とほ》つ昔《かみ》の夢とうかび、
彩もなき細布《ほそぬの》ひく天《あめ》の極み、
ああ今か、浩蕩《おほはて》なる蒼扉《あをど》つぶれ
愁知る神立たすや、日もかくろひ、
その命令《よざ》の音なき声ひびきわたり、
枯枝のむせび深く胸をゆれば
窈冥霧《かぐろぎり》わがひとみをうち塞《ふさ》ぎて、
身をめぐる幻《まぼろし》、──そは百代《もゝよ》遠き
辺《へ》つ国《くに》の古事《ふるごと》なれ。ここ錦木塚。

立ちかこみ、秋にさぶる青垣山《あをがきやま》、
生《い》くる世は朽葉なして沈みぬらし。
吹鳴《ふきなら》せる小角《くだ》の音も今流れつ、
狩馬《かりうま》の蹄《ひづめ》も、はた弓弦《ゆづる》さわぐ
をたけびもいと新たに丘《をか》をすぎぬ。
天《あま》さかる鹿角《かづの》の国、遠いにしへ、
茅葺《かやぶき》の軒並《な》めけむ深草路《ふかくさぢ》を、
ああその日麻絹織るうまし姫の
柴の門行きはばかる長《をさ》の若子《わくご》、
とぢし目は胸戸《むなど》ふかき夢にか凝《こ》る、
うなたれて、千里《ちさと》走る勇みも消え、
影の如《ごと》たどる歩みうき近づき来《く》る

和胸《やはむね》も愛の細緒《ほそを》繰《く》りつむぐか、
はた秋《あき》の小車《をぐるま》行く地《ち》のひびきか。
梭《をさ》の音せせらぎなす蔀《しとみ》の中
愁ひ曳《ひ》く歌しづかに漂ひくれ。
え堪へでや、小笛とりて戸の外より
たどたどに節《ふし》あはせば、歌はやみぬ。
くろがねの柱《はしら》ぬかむ力《ちから》あるに
何しかもこの袖垣《そでがき》くぢきえざる。
恋ひつつも忍ぶ胸のしるしにとて
今日もまた錦木《にしきぎ》立て、夕暗路《ゆふやみぢ》を、
花草《はなぐさ》にうかがひよる霜《しも》の如く、
いと重き歩みなして今かへり去るよ。

八千束《やちづか》のにしき木をばただ一夜《ひとよ》に
神しろす愛の門《かど》に立て果《は》つとも、
束縛《いましめ》の荒縄《あらなは》もて千捲《ちまき》まける
女《め》の胸は珠《たま》かくせる磐垣淵《いはがきぶち》、
永《なが》き世《よ》を沈み果てて、浮き来ぬらし。
真黒木《まくろぎ》に小垣《をがき》結《ゆ》へる哭沢辺《なきさはべ》の
神社《もり》にして、三輪《もわ》据《す》え、祈《の》る奈良《なら》の子《こ》らが
なげきにも似《に》つらむ我がいたみはもと、
長《をさ》の子のうちかなしむ歌知らでか、
梭の音胸刻みて猶流るる。
男《を》のなげく怨《うら》みさはに目にうつれば、
涙なす夕草露《ゆふくさづゆ》身もはらひかねつ。

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