五月姫

夢の谷、
新影《にひかげ》あまき
五月《さつき》そよ風匂ひたる
にほひ紫《むらさき》吹く桐《きり》の
夢の谷、
青草眠る
みどり小牀《をどこ》に五月姫
白昼《まひる》うるほふ愛の夢

まぼろし
姫がおもわは
ハイアシンスの滴露《しただり》の
黄金《こがね》しただりなまめける
水盤《すゐばん》の
そしらぬ光。
夢は波なき波なれや、
香脂《にほひあぶら》の恋の彩《あや》。

黒髪の
さゆらぎ似たり
むらさき房《ぶさ》の桐の花。
花はゆらぎて、わかやげる
紅《あけ》の唇《くち》
ほほゑみ添へば、
白羽夢の羽かろらかに
小蝶とまりぬ、愛の香に。

媚風《こびかぜ》の
けはひやはらに
額《ぬか》にたれたる小百合花《さゆりばな》。
小百合にほへば、我が姫の
むね円《まろ》き
ゆめも匂ひぬ、
谷もにほひぬ、天地《あめつち》の
光も夢のにほひ園《その》。

夢の谷、
ゆめこそ深き
ここぞ匂ひの愛の宮。
宮の玉簾《たまだれ》むらさきの
英華《はなぶさ》に
今ひるがへれ、
シヤロンの野花谷《のばなたに》百合《ゆり》に
ひるがへりたる愛の旗《はた》。

姫が目は
外にとぢたる、
とぢたる園の愛の門《かど》。
園をうがちて、丘こえて、
をどりつつ
生《せい》の小【じか】*1《をじか》の
おとづれ来《く》らば、姫が夢
石榴《ざくろ》と咲かめ、甘き夢。

まぼろし
さめてさめざる
(げにさもあれや、)生《せい》の谷《たに》。
谷はつつみぬ、いにしへゆ
まぼろし
さめてさめざる
光、平和《やはらぎ》、愛の夢
眠りに生《い》くる五月姫《さつきひめ》。

(甲辰五月十六)》 

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*1:「けものへん」に「章」