寂寥

片破月《かたわれづき》の淋しき黄の光
破窓《やれまど》洩《も》れて、老尼《らうに》の袈裟《けさ》の如、
静かに細うふるひて、読みさしの
書《ふみ》の上《へ》、さては黙座《もくざ》の膝に落ちぬ。
草舎《くさや》の軒《のぎ》をめぐるは千万《ちよろづ》の
なげきの糸《いと》のたてぬき織《を》り交《ま》ぜて
しらべぞ繁き叢間《くさま》の虫の歌。
夜の鐘遠く、灯《ともし》も消えがてに、
  ああ美しき名よ、寂蓼!
天地《あめつち》眠り沈みて、今こそは
汝《な》がいと深き吐息《といき》と脈搏《みやくはく》の、
ひとりしさめて物思《ものも》ふわが胸と
すべての根《ね》ざす地心《ちしん》にひびく時。

壁には淡き我が影。堆《うづ》たかく
乱れて膝をかこめる黄捲《くわうくわん》は
さながら遠き谷間の虚洞《うつろ》より
脱《ぬ》け出で来ぬる『秘密』の精《せい》の如。──
かかる夜幾夜、見えざる界《さかひ》より、
  美しき名よ、寂蓼!
汝《なれ》この窓を音なく、月影の
鈍色《にびいろ》被衣《かづき》纒《まと》ひてすべり入り、
なつかし妻の如くも親しげに
ほほゑみ見せて側《かた》へに座《すわ》りけむ。

見よ、汝《な》が吐息静かに吹く所、
人の心の曇《くも》りは拭《ぬぐ》はれて、
あたりの『物』の動きに、動かざる
まことの『我』の姿の明らかに
宿るを眺め、汝《な》が脈搏《みやくう》つ所、
すべての音は潜みて、ただ洪《ひろ》き
心の海に漂ふ大波の
寄せては寄する響のきこゆなる。
  美しき名よ、寂蓼!
ああ汝《なれ》こそは、鋭《するど》き斧《をの》をもて
この人生《じんせい》の仮面《かめん》を剥《は》ぎ去ると
命《めい》負《お》ひ来つる有情《うじやう》の使者《つかひて》か。

汝《な》がおとづれは必ず和《やは》らかに、
またいと早く、恰も風の如。
二人《ふたり》のあるや、汝《な》が眼《め》は一すじに
貫ぬくとてか、胸にとそそぎ来て、
その微笑《ほゝえみ》もまことに荘厳《おごそか》に、
たとへば百《もゝ》の白刃《しらは》の剣《つるぎ》もて
守れる暗の沈黙《しゞま》の森の如、
声なき言葉四壁にみちみちて、
おのづと下《くだ》る頭《かうべ》はまた起きず。
  美しき名よ、寂蓼!
かくて再び我をば去らむとき、
涙は涸《か》れて、袂《たもと》はうるほへど、
あらたに胸にもえ立つ生命の
石炭《うに》こそ汝《なれ》が遺《のこ》せる紀念《かたみ》なれ。

  美しき名よ、寂蓼!
甞ては我も多くの世の人が
厭《いと》へる如く、汝《なれ》をばいとへりき。
そはただ春の陽炎もゆる野に
とび行く蝶の浮きたる心には、
汝《な》が手のあまり霜には似たればぞ。
さはあれ、汝《なれ》やまことに涯もなき
大海にして、不断の動揺に、
真面目《まじめ》と、常に高きに進み行く
心の奥の鍵《かぎ》をぞ秘めたれば、
遂には深き崇高《けだか》き生命の
勇士の胸の門《かど》をばひらくなり。

  美しき名よ、寂蓼!
たとへば汝は秘密の古鏡《ふるかゞみ》。
人若し姿投《とう》ぜば、いろいろの
仮装《よそひ》はすべて、濡《ぬ》れたる草の葉の
日に乾《かは》く如、忽ち消えうせて、
おもてに浮ぶまろらの影二《ふた》つ、──
それ、かざりなき赤裸《せきら》の『我』と、また
『我』をしめぐる自然の偉《おほ》いなる
不朽の力《ちから》、生火《いくひ》の燃《も》ゆる門《かど》。
げに寂蓼《さびしみ》にむかひて語る時、
人皆すべて真《まこと》の『我』が言葉、
『我』が声をもて真《まこと》を語るなる。

  美しき名よ、寂蓼!
汝また長き端《はし》なき鎖《くさり》にて、
とこしへ我を繋《つな》ぎて奴隷《しもべ》とす。
家をば出でて自然に対す時、
うづ巻く潮《しほ》の底より、天《あま》そそる
秀峰《ほつみね》高き際《きは》より、さてはまた、
黄に咲く野辺の小花《をばな》の葉蔭より
雀躍《こをど》り出でて、胸をば十重二十重《とへはたへ》
犇《ひし》と捲きつつ、尊とき天《あめ》の名の
現示《あらはれ》の前《まえ》、頭《かうべ》を下げしむる
それその力、ああまた汝にあり。

  美しき名よ、寂蓼!
恋する者の胸より若しも汝が
おとづれ絶たば、言語《ことば》も闡《ひら》きえぬ
心の奥の叫びを語るべき
慰安《いあん》の友の滅びて、彼遂に
たへぬ悩みに物にか狂ふべし。
またかの善《よき》と真《まこと》を慕《した》ふ子に、
若し汝行きて、みづから自らに
教ふる時を与ふる勿《なか》りせば、
遂には彼の心も枯るるらむ。

  美しき名よ、寂蓼!
寂蓼《さびしみ》人を殺すと誰か云ふ。
霊なきむくろ、花なき醜草《しこくさ》は
汝がおごそかの吐息に、げに或は
死にもやすべし。朽木《くちき》に花咲かず。
ああ寂蓼よ、汝が脈搏つところ、──
我と我との交はる所にて、
うちめぐらせる霊気の 八重垣《やへがき》に
詩歌《しいか》の花の恋しきみ園あり。
そこに我が魂しづかにさまよふや、
おのづと起る唸《うめ》きの声は皆、
歴史と堂と制規《さだめ》を脱《ぬ》け出でて、
親しく自然を司《つかさ》どる
慈光《じくわう》の神に捧ぐる深祈祷《ふかいのり》
あふるる涙、それまた世の常の
涙にあらず、まことの生命の
源ふかく帰依《きえ》する瑞《みづ》の露。

  美しき名や、寂蓼!
汝こそげにも心の在家《ありか》にて、
見えぬ奇《くし》かる界《さかひ》に門《かど》ひらき、
またこの生けるままなる世の態《さま》に
却《かへ》りて大《おほ》き霊怪《くしび》の隠《かく》れ花《ばな》
かしこに、ここに、各自《かたみ》の胸にさへ
咲けるを示し、無云の教垂れ、
想ひをひきて自在の路告《つ》ぐる
豊麗無垢の尊とき霊の友《とも》。
ああこの世界ひとりの『人』ありて、
若し我が如く、美し寂蓼の
腕《うで》に抱かれ、処《ところ》と時を超《こ》え、
あこがれ泣くを楽しと知るあらば、
我この月の光に融け行きて、
彼にか問《と》はむ、『栄華《えいぐわ》と黄金《わうごん》の
まばゆき土《つち》の値《あたひ》や幾何《いくばく》』と。

(甲辰八月十八日夜) 

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