我なりき

ほのかに夜半《よは》に漂ふ鐘《かね》の音《ね》の
いのちぞ深きまぼろし、──『我』なりき。
『我』こそげにや触《ふ》れても触れ難き
流るる幻。されば人よ云へ、
時より時に跡なき水【なわ】*1《みなわ》ぞと。

ああそよ、水【なわ】*2《みなわ》ひと度うかびては
時あり、始《はじめ》あり、また終《をはり》あり。
瞬《またゝ》き消えぬ──。いづこに? そは知らず、
あとなき跡は流れて、人知らず。

瞬時《またゝ》、さなり瞬時、それ既に
永久《とは》なる鎖《くさり》かがやく一閃《ひとひらめき》。
無生《むせい》よ、さなり無生よ、それやはた、
とはなる生《せい》の流転《るてん》の不現影《みえざるかげ》。
或ひは人よ、汝等《なれら》が自《みづか》らを
みづから蔑《なみ》す沈淪《ほりび》の肉《にく》の声。

ああ人、さらばいのちの源泉《みなもと》の
見えざる『我』を『彼』とぞ汝《なれ》呼べよ。
無生《むせい》の生に汝等《なれら》が還《かへ》る時、
有生《うせい》の生《せい》の円光《ゑんくわう》まばゆきに
『彼』とぞ我は遊ばむ、霊の国。

見えざる光、動かぬ夢の羽《はね》、
音なき音よ、久遠《くをん》の瞬《またゝ》きよ、
まぼろし、それよ、『まことの我』なりき。
『彼』こそ霊の白【あわ】*3《しらあわ》、──『我』なりき。──
ほのかに夜半《よは》にただよふ鐘の音の
光を纒《まと》ふまぼろし、──『我』なりき。

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*1:「さんずい」に「區」

*2:「さんずい」に「區」

*3:「さんずい」に「區」