森の葉を蒸《む》す夏照《なつで》りの
かがやく路のさまよひや、
つかれて入りし楡《にれ》の木の
下蔭に、ああ瑞々《みづみづ》し、
百葉《もゝは》を青《あを》の御統《みすまる》と
垂《た》れて、浮けたる夢の波、
真清水透《とほ》る小泉よ。
いのちの水の一掬《ひとむすび》、
いざやと下《お》りて、深山《ふかやま》の
小【じか】*1《をじか》の如く、勇みつつ、
もろ手をのべてうかがへば、
しら藻《も》は髪にかざさねど
水神《みづち》か、いかに、笑《ゑま》はしの
ゆたにたゆたにものの影、
紫《むらさき》三稜草《みくり》花《はな》ちさき
水面《みのも》に匂ふ若眉《わかまゆ》や、
玉頬《たまほ》や、瑠璃《るり》のまなざしや。
ああ一雫《ひとしづく》掬《すく》はねど、
口《くち》は無花果《いちじく》香もあまき
露にうるほひ、涼しさは
胸の奥まで吹きみちぬ。
夢と思ふに、夢ならぬ
と云ふ音におどろきて
眼《まなこ》あぐれば、夢か、また、
木《こ》の間《は》まぼろし鮮《あざ》やかに
垂葉《たりは》わけつつ駈《か》けて行く。──
さは黒髪のさゆらぎに
小肩《をがた》なよびの小女子《をとめご》よ。──
ああ常夏《とこなつ》のまぼろしよ、
など足早《あしばや》に過ぎ玉ふ。
ねがふは君よ、夢の森
にほふ緑の涼影《すゞかげ》に
暫しの安寝《やすい》守らせて、
(しばしか、夢の永劫《えいごふ》よ。)
われ夢守《ゆめもり》とゆるせかし。
目さめて仄《ほの》に笑《ゑ》ます時、
もろ手は玉の【ゆする】*2坏《ゆするつき》、
この真清水を御【ゆする】*3水《みゆする》に
手《て》づから君にまゐらせむ。
ああをとめごよ、幻よ、
はららの袖や愛の旗、
などさは疾《はや》き足《あし》どりに、
天《あめ》の鳥船《とぶね》のかくろひに、
緑《みどり》の中に消えたまふ。

(乙巳二月十九日夜) 

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*1:「けものへん」に「章」

*2:「さんずい」に「甘」

*3:「さんずい」に「甘」