草苺

青草《あをぐさ》かほる丘《をか》の下《もと》、
小唄《こうた》ながらに君過《す》ぐる。
夏の日ざかり、野良《のら》がよひ、
駒《こま》の背《せ》にして君過ぐる。
君くると見てかくれける
丘の草間《くさま》の夏苺《なついちご》、
日照《ひで》りに蒸《む》れて、青牀《あをどこ》や、
草いきれする下かげに、
天《あめ》の日うけて情《なさけ》ばみ
色ばみ燃えし紅《あけ》の珠《たま》、──
鶉《うづら》の床の丘の辺に
もとより鄙《ひな》の草なれど、
ああ胸の火よ、紅《あけ》の珠《たま》、──
とどろぎ心《ごゝろ》ひざまづき、
手触《てふ》れて見れば、うま汁《しる》に
あへなく指《ゆび》の染《そ》みぬるよ。
素足草刈《すあしくさか》る身は十五、
夏草しげる中なれば、
心《むね》の苺《いちご》はかくれたれ、
くろ髪捲ける藍染《あゐぞめ》の
白木綿《しらゆふ》君に見えざるや。
過ぎし祭《まつり》りの春の夜、
おぼろ夜深み、酒《さか》ほぎの
庭に、手とられ、袖とられ、
君に撰《ゑ》られて、はづかしの
唄《うた》に盃《さかづき》さされける
ああその夜より、姿よき、
駒《こま》もち、田もち、家もちの
君が名になど頬《ほ》の熱《ほて》る。
今君行くよ、丘の下、──
かがやく路を、若駒《わかごま》の
白毛《あしげ》ゆたかの乗様《のりざま》や、──
声し立てねば、えも向《む》かで
小唄《こうた》ながらに君行くよ。
ああ草蔭《くさかげ》の夏苺《なついちご》、
天《あめ》の日うけて情ばみ
色ばみ燃えて、日もすがら
くちびる甘《あま》き幸《さち》まてど、
醜草《しこくさ》なれば、君が園
枝《えだ》瑞々《みづみづ》し林檎《りんごう》の
櫑子《らいし》に盛《も》られ、手にとられ、
君がみ唇《くち》に吸《す》はるべき
木《こ》の実《み》の幸《さち》をうらみかねつも。

(乙巳二月廿一日) 

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