小田屋守

身は鄙《ひな》さびの小田屋守《をだやもり》、
苜蓿《まごやし》白き花床《はなどこ》の
日照《ひで》りの小畔《をぐろ》、まろび寝て、
足《た》るべらなりし田子《たご》なれば、
君を恋ふとはえも云へね、
水無月《みなづき》蛍とび乱れ、
暖《ぬる》き風吹く宵《よひ》の間を、
ひるがほ草《さう》の蔓《つる》ながき
小田《をだ》の小径《こみち》を匂はせし
都ぶりなるおん袖に
ゆきずり心《こゝろ》蕩《とろ》かせし
その移り香の胸に泌《し》み、
心の栖家《すみか》君にとて
なさけの小窓《をまど》ひきしより、
ああ吹く笛のみだれ音《ね》や、
みだりごころは、青波の
稲田《いなだ》の畔《あぜ》の堰《せ》きかねて
夏照《なつで》り走るぬるみ水、
世に許《ゆ》りがたき貴人《あでびと》の
御姫《みこ》なる君を追ひぞする。
今は四方田《よもだ》の稲たわわ、
琥珀《こはく》の玉をむすべるに、
ひめてはなたぬ我が思ひ、
ただわびしらの思寝《おもひね》の
涙とこそはむすぼふれ、
ああ玉苑《ぎよくえん》のふかみ草
大き葩《はなびら》啄《つ》まむとて
追ひやらはれし野の鳥の
つたなき身様《みざま》まねけるや。
こよひ刈穂《かりほ》の庵《いほ》の戸に
八束穂《やつかほ》守る身を忘れ、
小田刈月《をだがりづき》の亥中月《ゐなかづき》、
君知りしより百夜《もゝよ》ぞと
さまよひ来ぬるみ舘《やかた》の
木槿《もくげ》花咲く垣《かき》のもと、
灯《ほ》かげ明《あか》るき高窓《たかまど》に
君が弾《ひ》くなる想夫憐《さうふれん》。
ああ鄙《ひな》さびの小田屋守《をだやもり》、
笛なげすてて、花つみて、
花をば千々《ちゝ》にさきすてて、
溝《みぞ》こえ、厚《あつ》き垣《かき》をこえ、
君が庭には忍び入る。

(乙巳二月二十日) 

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