しろばんば(2) 〜浄連の滝〜

浄連の滝


しろばんば(1)〜湯ヶ島温泉〜から|

浄連の滝

私は今日の昼間、2年振りぐらいに本棚から持ち出した「伊豆の踊子」の文庫本をリュックサックに入れて、浄連の滝から狩野川沿いに、踊子の歩道という車道から少し離れた道を一人で歩きました。

そしてその所々で写真を撮ったり、道端の石碑を読んだりしながら、旧天城トンネルまでを尋ね、夏でもヒンヤリとした空気に包まれているという、長いトンネルの響きを抜けてきました。

その中で思い返すことというのは、浄連の滝でのことです。この滝は日本の滝100選にも選ばれている名所であり、崖の上から飛沫(しぶき)だった豊富な水が黒々と削られた壁面を走りだって滝つぼに落ちていくという、豪快な滝の姿を見ることができる場所です。

そのために観光客の数も多く、滝を背にしてめいめいがデジタルカメラや携帯電話を手にして写真を撮っていました。私も同じように、この滝の周囲で人の流れが途切れるのを待って、デジタルカメラのシャッターを押しました。そして私は写真が撮れたことを確認すると、その場所を次の人へと譲って、周りの流れに合わせてワサビの土産屋へ向かいました。

その時、ふと自分の行動に気づいたのですが、私はその滝を観賞しに訪れているはずなのに、私はその滝を見てはいなかったのです。いつのまにか私の目的は、そこで写真を撮ることに変わってしまい、そこを舞台とした踊子の情景だけでなく、滝という風光そのものさえ、私の記憶には残っていませんでした。

私は気付かないうちに、この滝に来たという記憶だけではなく、美しい風景の味わいを楽しむ心や、自分の詩や心までカメラに委ねてしまい、その機械に滝の写真が写っている事を確認しただけで、そこを立ち去っていたのです。

このまま気づかずに去ったとしたら、私は後から家でその写真を見たとしても、まるで誰か別の人が撮った写真や観光案内のパンフレットを見るように、その切り取られた写真を遠くから見つめるだけになってしまいます。

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