しろばんば(3) 〜湯道〜

しろばんば(2)〜浄連の滝〜から|

湯道

私は熱い湯船で温まった体を拭き、浴場から外に出て、そこから少し先の西平橋まで歩きました。橋の欄干に前腕をつけて橋の下を見下ろすと、流れが押し上げた冷たい空気がヒンヤリと胸の辺りを誘います。大地から湧き上がった湯で熱くなった体を、川の流れが作り出した風で心地よく冷ます、こういう粋な自然の味わいが、昔ながらの温泉街では得られるのです。

私はそれからこの町の「湯道*1」という歩道を、風呂上がりの手拭いを首にかけたまま、そぞろ脚でぶらつきました。

道の両側に連なる温泉宿、それらの白い塀や建物は、いくらか煤けているようにも見えますが、別の目からするとそれは歴史を感じさせるものです。そしてその重たげな屋根瓦もまた、山間の底にずっしりとした街の時を留めさせるという威風を与えています。

やがてその道は、なだらかな坂を越えた先で、灰褐色の細い石畳の道に変わりました。道の右脇には、山から湧いた水の路が走り、その水の中では緑色の藻が、溝の三方を厚く隠したままに瑞々しく揺れています。そしてその揺れはひたひたと、道の石の縁をたびたび濡らすようになると、やがてそれは別の路へと入り込み、大きな飛沫音とともに下へ別れていきました。

この伊豆の旅も、今日一夜ここで夢を迎えたら終わりです。私は旅が終わり近づいた今になって、ようやく自分がこの旅になじんできていると感じました。自分の腕の辺りの肌から、次第にこの土地の味わいがしみじみと伝わってきて、伸ばした腕の手の平が薄く包む先に、何か想いとしての柔らかさがあるように感じられるからです。

こういう所で半年ぐらい、落ち着きを得られない今の生活から離れて、川辺の木々を揺らす岩割れの水の音や、その脇で淡く光る蛍の遠い声、静謐に耀く自然の時を宵の窓からこの身に入れて暮らしてみたいものです。そうすれば私は、今より遥かに広い意味での時の在りように気付けるようになれるのかもしれません。

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*1:「湯道」というのは、この温泉街を縫って湯へ向かう細い散策道であり、途中には、男女が出会うと幸福になれるという本谷川と猫越の合流点の出会い橋や、梶井基次郎の小説「檸檬」の一部が刻まれた文学碑などがあります。