2005-03-22から1日間の記事一覧

北の海

海にゐるのは、 あれは人魚ではないのです。 海にゐるのは、 あれは、浪ばかり。 曇つた北海の空の下、 浪はところどころ歯をむいて、 空を呪《のろ》つてゐるのです。 いつはてるとも知れない呪。 海にゐるのは、 あれは人魚ではないのです。 海にゐるのは…

初夏の夜

また今年《こんねん》も夏が来て、 夜は、蒸気で出来た白熊が、 沼をわたつてやつてくる。 ――色々のことがあつたんです。 色々のことをして来たものです。 嬉しいことも、あつたのですが、 回想されては、すべてがかなしい 鉄製の、軋音《あつおん》さながら…

雲雀

ひねもす空で鳴りますは あゝ 電線だ、電線だ ひねもす空で啼きますは あゝ 雲の子だ、雲雀奴《ひばりめ》だ 碧《あーを》い 碧《あーを》い空の中 ぐるぐるぐると 潜《もぐ》りこみ ピーチクチクと啼きますは あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ 歩いてゆくのは菜の花…

春と赤ン坊

菜の花畑で眠つてゐるのは…… 菜の花畑で吹かれてゐるのは…… 赤ン坊ではないでせうか? いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です 菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど 走つてゆくのは、自転車々々々 向ふの道を…

夏の夜に覚めてみた夢

眠らうとして目をば閉ぢると 真ッ暗なグランドの上に その日昼みた野球のナインの ユニホームばかりほのかに白く―― ナインは各々守備位置にあり 狡《ずる》さうなピッチャは相も変らず お調子者のセカンドは 相も変らぬお調子ぶりの 扨《さて》、待つてゐる…

朝鮮女

朝鮮女《をんな》の服の紐 秋の風にや縒《よ》れたらん 街道を往くをりをりは 子供の手をば無理に引き 額顰《しか》めし汝《な》が面《おも》ぞ 肌赤銅の乾物《ひもの》にて なにを思へるその顔ぞ ――まことやわれもうらぶれし こころに呆《ほう》け見ゐたり…

秋日狂乱

僕にはもはや何もないのだ 僕は空手空拳だ おまけにそれを嘆きもしない 僕はいよいよの無一物だ それにしても今日は好いお天気で さつきから沢山の飛行機が飛んでゐる ――欧羅巴《ヨーロツパ》は戦争を起すのか起さないのか 誰がそんなこと分るものか 今日は…

ホラホラ、これが僕の骨だ、 生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破つて、 しらじらと雨に洗はれ、 ヌックと出た、骨の尖《さき》。 それは光沢もない、 ただいたづらにしらじらと、 雨を吸収する、 風に吹かれる、 幾分空を反映する。 生きて…

秋の消息

麻は朝、人の肌《はだへ》に追い縋《すが》り 雀らの、声も硬うはなりました 煙突の、煙は風に乱れ散り 火山灰掘れば氷のある如く けざやけ【こう】気《き》の底に青空は 冷たく沈み、しみじみと 教会堂の石段に 日向ぼつこをしてあれば 陽光《ひかり》に廻…

冬の夜

みなさん今夜は静かです 薬鑵《やかん》の音がしてゐます 僕は女を想つてる 僕には女がないのです それで苦労もないのです えもいはれない弾力の 空気のやうな空想に 女を描いてみてゐるのです えもいはれない弾力の 澄み亙《わた》つたる夜の沈黙《しじま》…

湖上

ポッカリ月が出ましたら、 舟を浮べて出掛けませう。 波はヒタヒタ打つでせう、 風も少しはあるでせう。 沖に出たらば暗いでせう、 櫂《かい》から滴垂《したた》る水の音は 昵懇《ちか》しいものに聞こえませう、 ――あなたの言葉の杜切《とぎ》れ間を。 月…

老いたる者をして

――「空しき秋」第十二 老いたる者をして静謐《せいひつ》の裡《うち》にあらしめよ そは彼等こころゆくまで悔いんためなり 吾は悔いんことを欲す こころゆくまで悔ゆるは洵《まこと》に魂《たま》を休むればなり あゝ はてしもなく涕《な》かんことこそ望ま…

冬の明け方

残んの雪が瓦に少なく固く 枯木の小枝が鹿のやうに睡《ねむ》い、 冬の朝の六時 私の頭も睡い。 烏が啼いて通る―― 庭の地面も鹿のやうに睡い。 ――林が逃げた農家が逃げた、 空は悲しい衰弱。 私の心は悲しい…… やがて薄日が射し 青空が開《あ》く。 上の上の…

冷たい夜

冬の夜に 私の心が悲しんでゐる 悲しんでゐる、わけもなく…… 心は錆《さ》びて、紫色をしてゐる。 丈夫な扉の向ふに、 古い日は放心してゐる。 丘の上では 棉《わた》の実が罅裂《はじ》ける。 此処《ここ》では薪が燻《くすぶ》つてゐる、 その煙は、自分自…

秋の日

磧《かはら》づたひの 竝樹《なみき》の 蔭に 秋は 美し 女の 瞼《まぶた》 泣きも いでなん 空の 潤《うる》み 昔の 馬の 蹄《ひづめ》の 音よ 長の 年月 疲れの ために 国道 いゆけば 秋は 身に沁《し》む なんでも ないてば なんでも ないに 木履《ぼくり…

冬の日の記憶

昼、寒い風の中で雀を手にとつて愛してゐた子供が、 夜になつて、急に死んだ。 次の朝は霜が降つた。 その子の兄が電報打ちに行つた。 夜になつても、母親は泣いた。 父親は、遠洋航海してゐた。 雀はどうなつたか、誰も知らなかつた。 北風は往還を白くして…

この小児

コボルト空に往交《ゆきか》へば、 野に 蒼白の この小児。 黒雲空にすぢ引けば、 この小児 搾《しぼ》る涙は 銀の液…… 地球が二つに割れゝばいい、 そして片方は洋行すればいい、 すれば私はもう片方もう片方に腰掛けて 青空をばかり―― 花崗の巌《いはほ》…

幼獣の歌

黒い夜草深い野にあつて、 一匹の獣《けもの》が火消壺《ひけしつぼ》の中で 燧石《ひうちいし》を打つて、星を作つた。 冬を混ぜる 風が鳴つて。 獣はもはや、なんにも見なかつた。 カスタニェットと月光のほか 目覚ますことなき星を抱いて、 壺の中には冒…

夏の夜

あゝ 疲れた胸の裡《うち》を 桜色の 女が通る 女が通る。 夏の夜の水田《すゐでん》の滓《おり》、 怨恨は気が遐《とお》くなる ――盆地を繞《めぐ》る山は巡るか? 裸足《らそく》はやさしく 砂は底だ、 開いた瞳は おいてきぼりだ、 霧の夜空は 高くて黒い…

春の日の歌

流《ながれ》よ、淡《あは》き 嬌羞《きようしゆう》よ、 ながれて ゆくか 空の国? 心も とほく 散らかりて、 ヱヂプト煙草 たちまよふ。 流よ、冷たき 憂ひ秘め、 ながれて ゆくか 麓までも? まだみぬ 顔の 不可思議の 咽喉《のんど》の みえる あたりま…

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。 その汗を乾かさうと、雲雀《ひばり》は空に隲《あが》る。 瓦屋根今朝不平がない、 長い校舎から合唱は空にあがる。 あゝ、しづかだしづかだ。 めぐり来た、これが今年の私の春だ。 むかし私の胸摶《う》つた希望は今日…

雨の日

通りに雨は降りしきり、 家々の腰板古い。 もろもろの愚弄の眼《まなこ》は淑《しと》やかとなり、 わたくしは、花弁《くわべん》の夢をみながら目を覚ます。 * 鳶色《とびいろ》の古刀の鞘《さや》よ、 舌あまりの幼な友達、 おまへの額は四角張つてた。 …

六月の雨

またひとしきり 午前の雨が 菖蒲《しようぶ》のいろの みどりいろ 眼《まなこ》うるめる 面長き女《ひと》 たちあらはれて 消えてゆく たちあらはれて 消えゆけば うれひに沈み しとしとと 畠《はたけ》の上に 落ちてゐる はてしもしれず 落ちてゐる お太鼓…

三歳の記憶

縁側に陽があたつてて、 樹脂《きやに》が五彩に眠る時、 柿の木いつぽんある中庭《には》は、 土は枇杷《びは》いろ 蝿《はへ》が唸《な》く。 稚厠《おかは》の上に 抱へられてた、 すると尻から 蛔虫《むし》が下がつた。 その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くの…

青い瞳

1 夏の朝 かなしい心に夜が明けた、 うれしい心に夜が明けた、 いいや、これはどうしたといふのだ? さてもかなしい夜の明けだ! 青い瞳は動かなかつた、 世界はまだみな眠つてゐた、 さうして『その時』は過ぎつつあつた、 あゝ、遐《とお》い遐いい話。 …

今宵月【めう】荷《が》を食ひ過ぎてゐる 済製場《さいせいば》の屋根にブラ下つた琵琶《びわ》は鳴るとしも想へぬ 石炭の匂ひがしたつて怖《おぢ》けるには及ばぬ 灌木がその個性を砥《と》いでゐる 姉妹は眠つた、母親は紅殻色《べんがらいろ》の格子を締…

早春の風

けふ一日《ひとひ》また金の風 大きい風には銀の鈴 けふ一日また金の風 女王の冠さながらに 卓《たく》の前には腰を掛け かびろき窓にむかひます 外吹く風は金の風 大きい風には銀の鈴 けふ一日また金の風 枯草の音のかなしくて 煙は空に身をすさび 日影たの…

夜更の雨

――ベルレーヌの面影―― 雨は 今宵も 昔 ながらに、 昔 ながらの 唄を うたつてる。 だらだら だらだら しつこい 程だ。 と、見るベル氏の あの図体《づうたい》が、 倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。 倉庫の 間にや 護謨合羽《かつぱ》の 反射《ひかり》だ。 そ…

むなしさ

臘祭《ろうさい》の夜の 巷《ちまた》に堕《お》ちて 心臓はも 条網に絡《から》み 脂《あぶら》ぎる 胸乳《むなぢ》も露《あら》は よすがなき われは戯女《たはれめ》 せつなきに 泣きも得せずて この日頃 闇を孕《はら》めり 遐《とお》き空 線条に鳴る …

含羞

なにゆゑに こゝろかくは羞《は》ぢらふ 秋 風白き日の山かげなりき 椎の枯葉の落窪に 幹々は いやにおとなび彳《た》ちゐたり 枝々の 拱《く》みあはすあたりかなしげの 空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ をりしもかなた野のうへは あすとらかんのあはひ…