車内にて:横手市(1)

横手城


大曲から横手へと向かうので、新庄行きの列車に乗り込む。どうもここら辺の路線図はよくわからず、なぜ新庄行きに乗るのかわからない。新庄は山形県の北側に位置し、山形新幹線の駅でもあったはずである。調べてみると、新庄からは、南には山形行き列車が、西には酒田行きの列車が、東には古川方面の列車がでており、大曲からは横手市湯沢市を通って新庄へと行き着くようで、新庄は路線の十字路となっている。
横手へと向かう車内においてであるが、非常に雪原が広い。昨日は暗い新幹線の窓からしか見てなかったので気にとめなかった。軌道の周りには田畑が広がっているようで、遠くの民家まで踏まれていない新雪が続いている。確かに冬の畑は、作物もとれいないしすることがない、だから真っ白なのだろう。その代わり雪国では、道路や工場出入口などの除雪作業の仕事があるとの話を聞いたことがある。ちなみに、豪雪地帯においては、肥料を雪の上に蒔くそうである。雪が解けてしまうと田畑がどろどろになってしまい、動きにくいからだそうだ。
そんな田畑の間には稀に、一本だけ落葉樹が裸になっている姿が見受けられる。それらをよく見てみると、木下に墓石があり、お墓のようである。私の頭の中では、墓はお寺にあるものと思っていたが、必ずしもそうではないようである。その土地の地主の代々の墓なのだろうか? お墓の横に木を植えるあたりが、何か日本的でよい。
しかし、運転手の後ろの窓からレールを見ているのだが、これだけ雪が積もっている中をよく脱線もせずに列車が走れるものである。そりゃレールははっきりと見えるが、レールとレールの間は雪で盛り上がってしまっている。まあ、東京なんかで走っている通勤列車とは違って、東北の列車は雪には強くできており、風で止まる事はあっても雪で止まる事はないそうだが。

歴史について:横手市(2)

横手に着き、重たい荷物をコインロッカーに入れて外に出る。もちろんここでもうっすらと雪が降っている。雪の積もり方は大曲より横手のほうが多い、駅前の建物の屋根に5人ぐらいが上り、雪下ろしをしている姿が見受けられる。ロータリーには「北国のメルヘンかまくらの里」という観光案内板が見える。ここ横手は、かまくらで有名なのである。ここには、一年中かまくらを体験できる施設がある、との事なのでそこへと向かう。「雪の降る町を」でも口ずさんで歩くが、あの歌の舞台は山形県鶴岡市であった。10分ほどで着き、雪を払って施設内に入る。さて、散々かまくらを目指しているなどと書いておいて悪いのだが、結局ここではかまくらは体験できなかった。丁度かまくらを作り直しており入れないのである。運が悪い、何しに来ているのかわからない。仕方がないので歴史ライブラリーなどを見ながらうろうろする。
ここ横手の地は、後三年の役の舞台である。後三年の役とは、1083-1087年の平安時代において、出羽・陸奥の国に勢力を誇っていた清原氏の内紛に、源義家が介入し、藤原清衡とともに清原氏を滅ぼした争いである。東北地方はかつて、中央に反抗する蝦夷の地としてさげすまれ、中央もまた従わせるのが難しい場所として、地域で勢力を誇っていた豪族が利権を握っていた。しかし、豊富な鉱山資源や強靭な馬、肥沃で広大な土地と農産物がある魅力あふれる土地であり、源氏はこれを狙っていた。そして、陸奥の国守源義家は、清原氏の内紛に乗じて藤原清衡を味方につけ、清原氏を滅ぼす。だが源義家は朝廷から、清原氏の内紛に私事で介入したとみなされ、奥羽の地を去ることになり、清衡が藤原三代の栄華の基礎を築くというわけである。清衡自身は清原家の血を継いでおり、前九年の役といい、血縁関係で血みどろの争いを繰り返してきた後で、中尊寺金色堂などは平和への願いがこめられて作られていると、何処かで読んだことがある。まあ、その後は大河ドラマで触れるでしょう。
こうやって歴史を見ていくと、「いい国作ろう鎌倉幕府」も、ろくなものではないと思えてくるわけで、東北の歴史は常に征服される歴史であり、また中央への反抗の歴史でもあるわけです。太宰治津軽にもそのようなことが書いてあって、とても東北人の私としては反抗精神を鼓舞されるところであります。今度東京の親会社から発注がきたら何か反抗してやろうかなと、ろくでもないことを思い浮かんだりして。その時の台詞としては、「何でそんな中央の言うことが聞けないのか」と言われたとして、「東北に生まれたんだから中央に反抗するのは当然だろう。東北が逆らわなかったら日本のどこが逆らうんだ」といつか言ってみたいです。一度東北の中央への反抗の歴史などを追ってみたいですね。何か良い本あるかな、ものすごく分厚い本になるだろうけど。

横手城へと歩く:横手市(3)

当てが外れ時間が余ったので、観光名所の横手城へと向かう。市役所の前の公園では、2月の祭りに向けてかまくらを作っているようで、3mぐらい雪が盛り付けてある。ただし、中身が空いてないので入れない。横手城はその昔朝倉城といい、鎌倉以来威名を遠近にとどろかせ、仙北三郡を領有していた地頭頭の小野寺氏の居城であった。江戸時代には、秋田佐竹氏の支城として栄え、幕末においては、東北で唯一勤皇方であった佐竹氏の城として、仙台庄内の軍勢と衝突し炎上した。先ほどの後三年の役と戊辰の役という2つの壮絶な戦いの魂を沈めるために、お盆の送り盆まつりでは、各町内から集まった屋形舟の壮絶なもみ合いが行われるそうである。
城までは1.1kmと看板が出ている。歩くことにしたが、またもや道に迷った。私が方向音痴という問題ではなく、道が細かくてわかりにくいのである。おまけに路肩には雪が溜まっており、地元の人ならばわかるのだろうが、よそ者にはわからない。こういった観光案内は、その土地に不慣れな人を連れてきて、どこがわからないかを調べてくれればいいのだが。例えば雪に慣れてない沖縄の人とかを連れてきて、雪の積もった時に試してみると良い。結局、看板がなくなってしまったので間違えた思い、地元の人に道を聞くと、だいぶ行き過ぎたようである。わざわざ歩きにくい雪の中、無駄なことをした。
道々には、葉を残した針葉樹も裸の広葉樹も、みな一様に雪をかぶっている。そして、かぶっているといっても、蔵王樹氷のように、溶けたお化けのごとく一面丸く覆われているのではなく、枝沿いに雪が深く被さる様になっている。東北の樹木は一年に2度花を咲かす。一度は春などのその気に特有の受粉に関係する時であり、もう一度はこの雪の季節である。例えば、桜の木を見てみよう。桜の花は、一つ一つの小さな花をいくつも枝枝一面に咲かす。その美しさは、一つ一つの花の美しさというよりも、木全体が一つの花としての美しさである。
冬の樹木もこれに同じ。木の枝上方に白く、そして幹にまでうっすらと雪をつける。これは全体として一つの白い花を咲かせているのである。そして雪は、町全体に降る。積もり方の違いこそあれ、雪の降らない木などはない。桜吹雪もまた一つの桜の見所である、並木もまた同じ。風により枝が揺れ桜が舞い上がる。それは、桜の花びらよりもはるかに小さな花である雪も同じ。それらは微かな風に吹かれるたびに、光を伴って大地へと舞い降りる。また、回りの雪を巻き込み大きな音も立てたりもする。六花・六出花・むつのはななどは、雪の結晶の形をみた雪の別名である。もう一度言う。東北の樹木は、一年に2度花を咲かすのである。雪がないとしたら、花見は年に一度しか出来ない。
さて、横手城に向かうにしたがって、雪もかなり深くなってくる。1mぐらいは積もっているだろうか。もういやになりながら城に着いたが、この季節は誰も来ないらしく、中にも入れない。写真を撮って、さっさと町へと戻った。

横手焼きそば:横手市(4)

横手は焼きそばで有名である。焼きそばなど、はっきり言って何も珍しくないが、名物と言われるのだから特徴があるのであろうと、試してみるとこにする。駅前の七兵衛という店に入り、横手焼きそばのセットを頼む。そして横手焼きそばのうんちくを読む。
戦後まもなく、横手で屋台のお好み焼き屋を営んでいた男性が、お好み焼き用の鉄板を用いた新たなメニューとして生み出したのがルーツ。焼きそばに適した麺を作るために、市内の製麺業者と試行錯誤を重ねた末、昭和28年ごろに現在の横手焼きそばの原型が完成した。一般的な焼きそばは、蒸し麺であるのに対し、横手の焼きそばはゆで麺を使用し、太くてまっすぐなのが特徴で断面が四角い。ウスターソースに各店のオリジナルソースを加え、汁が皿の下に残るぐらいさらさらしている。キャベツ、豚挽肉がスタンダード。麺の上に半熟の巨大目玉焼きを載せて福神漬けを添える。とある。
この店では、デミグラスソースなどをソースに加えて味を出し、卵には比内地鶏の卵を使い、麺をほぐすだしにも比内地鶏のガラを使っているそうである。30年代当時の作り方を伝えており、横手焼きそば伝承の店だそうである。さっそく出てきたものを食してみる。見た目はソースが皿にたっぷりありかなり濃厚である。半熟の卵焼きを崩して、ドロリといた卵の黄身と甘めのソース、そして太いゆで麺をからませて食べる。ふむ、普段食べている焼きそばとは、かなりイメージがことなりなかなか美味しい。ドロリとしたソースも卵の黄身の味により、口の中にいやな後味が残ったりはしない。赤い福神漬けも麺に色どりを添えている。焼きそばが名物と言われても、珍しくもないと思うかもしれないが、これは一食の価値がありである。
セットのプリンを食べる。これは店のオリジナルのようで、米粉を混ぜて蒸したプリンのようである。プリン本体がボソボソした感じなため、ホイップクリームが載せて食べやすくしてあるが、残念ながら私には今一歩に感じられた。
遅い昼食であったが、おなかが満たされたところで、再び電車に乗り秋田へと向かう。雪は海に近づくにつれて少しずつ減ってゆく。