車内にて:秋田市(1)

赤れんが郷土館


電車にて横手から秋田へと向かう。秋田の二つ前の駅、出発しようと笛が鳴るが、一両目の一番前の扉が雪のため閉まらない。運転手がブザーをならすと、駅員さんか車掌さんかが駆けつけて来て、下敷きのような薄いプレートで、ドアと車体の間の隙間の雪をガサガサと削り取ってゆく。頻繁にあるのだろうか、とても手馴れている。私にとっては初めてのことでした。
秋田に入ると浜風であろうか、大曲での雪のあたたかさとは対照的に、ひんやりとした冷気の寂寥が感じられる。ここでは、久保田城跡の千秋公園に向かう。県立美術館へとゴロゴロキャリアケースを転がしていくと、どうやら展示入れ替えのため入れないようである、またか。そこで、同じ建物の中にある財団法人 平野政吉美術館へと入る。

平野政吉美術館:秋田市(2)

美術館の沿革「平野政吉は大地主の長男として秋田市に生まれ、若い頃は画家志望でもあり、美術への愛着は強く生涯を通じて美術品収集を行いました。特にフランスを中心に活躍した藤田嗣治とは交友もあり、貴重な代表作を所有しました。それらの作品を中心に、美術館として開館しました。」とある。
さっそく館内に入ると、藤田嗣治の代表作の一つである「秋田の行事」が眼前に迫る。この絵は、藤田が50歳ぐらいの時に、秋田市の平野政吉の米蔵で描いた絵であり、油絵で縦3.65m、横20.5mという巨大なキャンバスに、右から「秋祭り」「梵天」「竿燈」と祭りが続き「雪国での風土」のかまくらや雪だるまが描かれている。動的な祭りの絵と、雪の風土という静的な生活が描かれ、その絵の色彩は、空の青、大地の白、そして祭りの赤で鮮やかに表されている。
白地の雪の背景の中の人々などは、まじかで見ると立体感にあふれており、その中の人々の表情に注目すると、みな一様に口を閉じ、遠くを見据えるような眼で、きびしい顔つきしている。子供の口も閉まっていて、遊んでいるはずなのに笑みが感じられない。唯一対照的なのは、おどけた表情の雪だるまだけだ。雪の寒い中にいるからしかめっ面をしているのかと思いきや、祭りのほうでもみな表情は厳しい。口を開いている者から聞こえてくるものは、勇壮な祭りの掛け声だけのようである。この絵からは、この土地に根ざす猛々しさがヒシヒシと伝わってくる。
藤田の他の絵も見て回るが、どれもみな絵を見るほうにも厳しい姿勢が要求されるような、張り詰めるような絵が多い。絵画からは、この人の生き様のような物まで伝わってくるようであり、絵を描いて生きていくとはかくも厳しいものかと思った。私のような軟弱な人間では、とても相手の目を見て話すことが出来ない。

秋田市民広場:秋田市(3)

秋田にて夜を過ごし、観光案内パンフなどをながめていたが、近くに赤れんが郷土館があるとの事なので、朝からそこへと向かう。ここは、旧秋田銀行本店であり、赤レンガの美しい建物で国の重要文化財に指定されている。郷土館には、秋田の歴史・民俗・美術工芸などが展示されているとの事である。しかし、開館時間になっても入り口が開かない、どうもまた運の悪い時期に来たらしい。いつもながら私には運がない。全然関係ない話であるが、毎年2回、ジャンボ宝くじを絶えず10枚づつ買っているが、300円しか当たったことがない。貧乏神を引き連れ、駅へと向かう。絶望して過ごしているせいか、いつも諦めは早い。
途中には、秋田市民広場という朝市のような物産市場があるので覗いてみることにする。魚屋や八百屋が所狭しと商品を並べ、客もかなり入っていることからにぎわっているようだ。残念ながら私は、まだまだ旅が続くので荷物を増やすわけにはいかない。蟹やアンコウ、カレイやハタハタなど、眼をギラギラ光らせている。駅前にあるので利用しやすく、友人と集まって鍋物などをするのにはいいと思う。こういう市場は、大きく捌かれているので、独り者の私としては普段の利用の機会はない。魚屋のおじさんが、大きな魚を出刃包丁1本で捌いていく姿を見られるのなどは、こういう市場の醍醐味でありとても良い。市場の中の食堂に入る。市場の食堂といっても、あまり魚介類とは関係なさそうな感じだ。朝定食を頼んで朝食にする。納豆に目玉焼き、お漬物の簡単なものであるが、ご飯の盛りも大きく、旅先ではこういう食事はありがたい。何かと偏りがちな外食では、こういった家庭で食べるような食事が朝には必要である。
秋田からは青森行きの列車に乗り、途中東能代で降りて、日本海側をひた走る五能線へと乗り換える。そこからは、一日に10本と満たないローカルな領域である。