小諸にて、島崎藤村の風景〜小諸城

懐古園


宿泊先の中軽井沢からしなの鉄道に乗り、小諸駅で降りました。小諸駅からは、なだらかなすそ野を広げた浅間が望め、牧歌的な風景を臨むことが出来ます。ここ信州小諸は、かつて島崎藤村が住んだところであり、有名な詩である「小諸なる古城のほとり」の舞台でとなった所です。
駅の陸橋からは緑の生い茂る一角が見え、「小諸なる古城」の小諸城跡です。小諸城は昔白鶴城や酔月城呼ばれ、美しいお城だったのでしょうが、現在は城門を残すのみで、城跡が懐古園という史跡になっています。この城は穴城といって、城下町より低い位置にある珍しい城です。背後の崖下には千曲川が流れ、両脇は深い空堀で囲われ、3方が天然の要害となっています。
駅から歩いて5分ほど、駅の高さからは一階程低くなっている三の門から城内へ入ると、苔むした野面積みの石垣が脇を囲みます。城内には黒く岩石の様な樹皮の老桜や、樹齢何百年にわたるケヤキの大木が残り、かつて藤村らが歩いた当時より、更に月日を経た城内が樹木に覆われて静寂を讃えているようでした。
藤村は仙台の東北学院で教鞭をとった後、明治32年(28歳)に恩師の木村熊二に招かとれて小諸義塾にて国語と英語の教師として赴任し、明治38年までをここ小諸で過ごします。そしてその地で「千曲川スケッチ」の散文や、「破戒」の稿を起こし始め、処女小説「旧主人」「藁草履」を発表するなど、詩人から小説家へと進んでいくことになりました。この懐古園の中には藤村記念館があり、当時の藤村の作品・資料・遺品などを見ることが出来ます。さてその「小諸なる古城のほとり」は以下の詩であり、

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る


あたゝかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ


暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

この詩はおそらく川瀬におりての詩だと思われるので、川の近くまで行きたかったのですが、天候が優れなかったので園内から望むだけにしました。園内の一角に千曲川を眼下に望めるところがあり、山の間を削って蛇行しながら流れる千曲川を見ることが出来ます。ここから眼下の川、さらなる山々を見ていると、自分が旋回して空を眺めているような、鳥のような気分であり、自然と渓谷美の雄大な景色が満ちてくるようでした。
藤村の当時でさえ、古城は荒れ果て、さすらう旅人にも時の悲しみが伝わってくる程のものだったのでしょう。「ず」「よしなし」「あれど」「知らず」などの語尾で否定することにより抒情深め、世をさすらう人である遊子、旅人を出すことで読む人を虚ろな心へと導き、この情景の寂しさをよりいっそう訴える詩です。