天の河二首

   其一 七月六日の夕

あすは思へばひとゝせに
一夜《ひとよ》の秋の夕《ゆふべ》なり
うき世にしげるこひ草《ぐさ》を
みそらの星もつまむとや
北斗は色をあらためて
よろづの光なまめきぬ

あふげば清し白銀《しろがね》の
夕波《ゆふなみ》高き天の河
深き泉を湧きいでゝ
うき世の外にたちさわぐ
つきせぬ恋の河水《かはみづ》は
遠くいづくに溢るらむ

西風《にしかぜ》星の花を吹き
天の河岸秋立ちぬ
かの彦星《ひこぼし》の牽《ひ》く牛は
しげれる草に喘《あへ》ぎより
ふたつの角《つの》をうちふりて
水の流れを慕ふらむ

げに彦星の履《ふ》みて行く
河辺《かはべ》の秋やいかならむ
高きほとりの通い路《ぢ》は
白萩《しらはぎ》の花さくらむか
人行きなるゝ岸のごと
紫苑の草の満つるむか

ひとり静かに尋ねよる
彦星のさまいかならむ
あすの逢瀬を微笑みて
かの琴台の美酒《うまざけ》の
盃に酔ふ人のごと
あゆみ危ふく行くらむか

または涙を墨染の
衣《ころも》の袖につゝむとも
なほ観経《くわんきん》の声曇る
西の聖《ひじり》の夢のごと
恋には道も捨てはてゝ
袖をかざして行くらむか

または旅寝の夢の上《へ》に
夢をかさぬる草まくら
えにしの外のえにしとは
それかよげにも捨てがたく
江口の君をたづねよる
侘人《わびびと》のごと行くらむか

天上《てんじやう》の恋しかすがに
ことなるふしはありとても
さもあればあれ彦星の
たなばたづめの梭《をさ》の音《ね》に
望みあふれて慕ひゆく
このゆふべこそ楽けれ

   其二 七夕

こよひみそらの白波《しらなみ》に
楫《かぢ》の音《と》すなりひこぼしの
安《やす》の河原《かはら》に舟浮《ふねう》けて
     今しこぐらし
風かぐはしく吹き匂ふ
花濃《こ》き岸にたづさはり
涙は顔をうるほして
老《おい》をし知らぬ夢のごと
     かしこにかしこに
       楫《かぢ》の音《と》きこゆ
人のすなるを星も見て
こひつくすらんこの夕《ゆふべ》

水影草《みづかげぐさ》のうちなびく
川瀬を見ればひとゝせに
ふたゝび逢はぬこひづまに
     今し逢ふらし
まだ色青き草麦《くさむぎ》の
はたけのうちにたふれふし
燃えては熱き紅唇《くちびる》の
たがひに触るゝ夢のごと
     かしこにかしこに
       ふれる袖見ゆ
人のすなるを星も見て
こひつくすらんこの夕

川声《かはと》さやけしおりたちて
天《そら》より深く湧きいづる
恋の泉をうちむすび
     今し飲むらし
乾くまもなき染紙《そめがみ》を
落つる涙にけがしては
生命《いのち》の門《かど》をかけいでゝ
恋に朽ちぬる夢のごと
     かしこにかしこに
       渡るひこぼし
人のすなるを星も見て
こひつくすらんこの夕

目次に戻る