月光五首

 さなり巌《いはほ》を撃《う》つ波の
 夕《ゆふべ》の夢を洗ふとも
 緑の岸に枕して
 松眠りなばいかにせむ

 あふげば胸に忍び入る
 清き光に照らされて
 われのみひとり笛吹けど
 君踊らずばいかにせむ

 こよひ月かげ新しき
 衣《ころも》を君にもたらすも
 としつき慣れてふりたるを
 君し捨てずばいかにせむ

 雲は緑の波を揚げ
 高き潮《うしほ》を分つとも
 君し涙の涸《か》れはてゝ
 胸うごかずばいかにせむ

 われあやまれり其《その》殻の
 安きを思へかたつむり
 君し眠りの楽しくば
 さめずもあれや月の光に

其一

さなきだに露したゝるゝ
深き樹蔭《こかげ》にたゝずめば
老いずの夢にたとふべき
夜《よる》の思に酔ふものを
月の光のさし入りて
林のさまぞ静かなる
緑を洗ふ白雨《しらさめ》の
すぎにしあとの梢には
清《す》みたる酒の香《か》に通ふ
雫流れてにほふらん

木下《こした》に夢を見よてとか
林の夜《よる》の静けさは
暗きに沈む樹々《きゞ》の葉の
影の深きによればなり
おぼつかなくも樹の蔭の
闇《やみ》の深きに沈めるは
緑に煙《けぶ》る夜《よ》の月の
深き木枝《こえだ》をもれいでゝ
光もいとゞ花やかに
さし入る影のあればなり

耳をたつればなつかしや
かなたこなたに木がくれて
鳴く音《ね》をもらす子規《ほとゝぎす》
はるかに聞けばたえだえに
流れてひゞく谷の水
げにやいみじき其声は
いとしめやかにつま琴《ごと》の
板戸《いたど》をもるゝ忍び音《ね》の
糸のしらべに通ふらん
ひゞきをあげよ谷間《たにあひ》に
むせびて下《くだ》る河水《かはみづ》や
ひゞきをあげよ月影に
しらべをつくる河水や
よしや林の深くして
眼《め》には流れの見えずとも
月の光にさそはれて
夜《よる》の思を送れその琴《こと》

   其二

都《みやこ》の塵《ちり》はかゝるとも
市の響はかよふとも
さながら月に照らされて
鏡にまがふ池のおも

さゞれ波立ち池水《いけみづ》の
動けるかたをながむれば
鏡の中に水鳥《みづとり》の
むらがり歩む影の見ゆ

人の世はげにとゞまらで
時につけつゝ動くとも
芸術《たくみ》の国の静けさは
この池の面《も》に似たるかな

かしこに浮ぶ水鳥は
沈むともなきたが影ぞ
かしこに動くさゞ波は
たが浴《ゆあ》みするわざならん

あゝ照る月はむかしより
人の望むにまかせたり
芸術《たくみ》の花はむかしより
人の慕ふにまかせたり

ともしび秉《と》りてよもすがら
遊ぶといふもことわりや
芸術《たくみ》は流し月清し
この命こそ短かけれ

いのちはよしや指をりて
をしからぬまで数ふとも
望《のぞみ》は遠く夢熱き
そのほのほこそ短かけれ

誰《たれ》かは早く老いざらむ
誰かは早く朽ちざらむ
心の花のうつろひは
一夜《ひとよ》眠りのうちにあり

これを思へば堪へがたく
みぎはにくだり池水《いけみづ》に
ひゞくを聴けば音遠く
静かに沈む鐘の声

   其三

月光の曲銀の笛
はるけき西の国ぶりの
君吹きすさぶ一ふしは
緑の雲を停めけり

つきは梢を離れいで
影花やかにさすものを
今一度《ひとたび》はせめて君
吹けやしらべを同じ音《ね》に

たとへばすめる真清水《ましみづ》の
岩にあふれて鳴るごとく
深きまことの泉より
その笛の音《ね》や流るらむ

いづれも末は花すぎて
まことの色はあせなむを
君はいかなるたくみもて
かく新しき声を吹く

むかしの箏《こと》の譜《ふ》は旧《ふ》りて
いくもゝとせを過ぎにけり
芸術《たくみ》の花は草と化《な》り
梁《うつばり》の塵《ちり》山と成る

薄暮《ゆふぐれ》橋のたもとにて
故《むかし》の人に逢ふごとく
されば一ふし新しき
君がしらべぞなつかしき

うれしや高き音《ね》をそへて
清《きよ》き男の吹く笛に
みどりにけぶる月影の
いやうるはしく見ゆるかな

   其四

ゆふべとなりぬ夏の日の
長きつとめをうちすてゝ
いざや雄々しきかひなより
流るゝ汗をぬぐへかし

洗へ緑の樹のかげの
したゝる露のすゞしさに
君がくるしきあらがねの
土もとけなむ昼の夢

虫音《ね》も高く群《むれ》を呼ぶ
琴のしらべにさも似たり
風おのづから吹きにほふ
たが招くともなかりけり

燃ゆるほのほのくれなゐの
塵も静かにをさまりて
楽しき園にかはりゆく
夕暮さまのおもしろや

君やも行くかわれはしも
浮べる雲にかへかねて
光を浴《あ》びむ白銀の
花やかにさす月の光を

   其五

あゝ時として月見れば
空《むな》しき天《あま》の戸を渡る
すめる鏡と見えにけり
あるときはまた世に近く
いざよひ渡る横雲に
いと慣れ易く見えにけり

また時としてながむれば
いとゞ常なき世を超えて
朽ちず尽《つ》きせず見えにけり
あるときはまた影清く
まどかに高くかゝれども
とく欠け易く見えにけり

また時としてながむれば
光の糸に夜《よ》と朝を
つなぎとゞむと見えにけり
あるときはまた冷《ひや》やかに
花と草との分《わか》ちなく
世を照らすかと見えにけり

また時としてながむれば
昔も今もさまよひて
行くへもしらず見えにけり
あるときはまたさだめなき
浮べる雲に枕して
ねむり静かに見えにけり

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