天の誘ひ

 死んだ人なんかゐないんだ。
 どこかへ行けば、きつといいことはある。

 夏になつたら、それは花が咲いたらといふことだ、高原を林深く行かう。もう母もなく、おまへもなく。つつじや石榴の花びらを踏んで。ちようどついこの間、落葉を踏んだやうにして。
 林の奥には、そこで世界がなくなるところがあるものだ。そこまで歩かう。それは麓《ふもと》をめぐつて山をこえた向うかも知れない。誰にも見えない。
 僕はいろいろな笑い声や泣き声をもう一度思い出すだらう。それからほんとうに叱られたことのなかつたことを。僕はそのあと大きなまちがひをするだろう。今までのまちがひがそのためにすつかり消える。

 人は誰でもがいつもよい大人になるとは限らないのだ。美しかつたすべてを花びらに埋めつくして、霧に溶けて。

 さようなら。