楽声

日暮《ひく》れて、楽堂《がくだう》萎《しほ》れし瓶の花の
香りに酔《ゑ》ひては集《つど》へる人の前に、
こは何、波渦《なみうづ》沈《しづ》める蒼《あを》き海《うみ》の
遠音《とほね》と浮き来て音色《ねいろ》ぞ流れわたる。──
霊の羽ゆたかに白鳩舞《ま》ひくだると
仰《あふ》げば、一弦《いちげん》、忽ちふかき淵《ふち》の
底《そこ》なる嘆《なげ》きをかすかに誘《さそ》ひ出でゝ、
虚空《こくう》を遥《はる》かに哀調《あいてふ》あこがれ行く。

光と暗とを黄金《こがね》の鎖《くさり》にして、
いためる心を捲《ま》きては、遠《とほ》く遠く
見しらぬ他界《かのよ》の夢幻《むげん》の繋《つな》ぎよする
力《ちから》よ自由《まゝ》なる楽声、あゝ汝《なれ》こそ
天《あめ》なる快楽《けらく》の名残《なごり》を地《つち》につたへ、
魂《たま》をしきよめて、世に充《み》つ痛恨《いたみ》訴《うた》ふ。

(癸卯十一月卅日) 

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