森の追懐

落ち行く夏の日緑の葉かげ洩《も》れて
森路《もりぢ》に布《し》きたる村濃《むらご》の染分衣《そめわけぎぬ》、
涼風《すゞかぜ》わたれば夢ともゆらぐ波を
胸這《は》うおもひの影かと眺め入りて、
静夜《しづかよ》光明《ひかり》を恋ふ子が清歓《よろこび》をぞ、
身は今、木下《こした》の百合花《ゆりばな》あまき息《いき》に
酔《ゑ》ひつつ、古事《ふるごと》絵巻《ゑまき》に慰みたる
一日《ひとひ》のやはらぎ深きに思ひ知るよ。

遠音《とほね》の柴笛《しばぶえ》ひびきは低《ひく》かるとも
鋤《すき》負ふまめ人《ひと》又なき快楽《けらく》と云ふ。
似たりな、追懐《おもひで》、小《ちい》さき姿ながら、
沈める心に白羽の光うかべ、
葉隠れひそみてささなく杜鵑《ほととぎす》の
春花羅綾《はるはなうすもの》褪《あ》せたる袖を巻《ま》ける
胸毛《むなげ》のぬくみをあこがれ歌ふ如く、
よろこび幽かに無間《むげん》の調《しら》べ誘ふ。

野梅《やばい》の葩《はなびら》溶きたる清き彩《あや》の
罪なき望みに雀躍《こおど》り、木の間縫《ぬ》ひて
摘《つ》む花多きを各自《かたみ》に誇《ほこ》りあひし
昔を思へば、十年《とゝせ》の今新たに
失敗《やぶれ》の跡《あと》なく、痛恨《いたみ》の深創《ふかきず》なく、
黒金諸輪《くろがねもろわ》の運命路《さだめぢ》遠くはなれ、
乳《ち》よりも甘かる幻透き浮き来て、
この森緑《みどり》の揺籃《ゆりご》に甦《よみが》へりぬ。

胸なる小甕《をがめ》は『いのち』を盛《も》るにたえて、
つめたき悲哀の塚辺《ついべ》に欠《か》くるとても、
底なる滴《しづく》に尊とき香り残す
不滅の追懐《おもひで》まばゆく輝やきなば、
何の日霊魂《たましひ》終焉《をはり》の朽《くち》あらむや。
鳴け杜鵑《ほととぎす》よ、この世に春と霊の
きえざる心を君我れ歌ひ行かば、
歎きにかへりて人をぞ浄《きよ》めうべし。
  (癸卯十二月十四日稿。森は郷校のうしろ。この年の春まだ浅き頃、
  漂浪の子病を負ふて故山にかへり、薬餌漸く怠たれる夏の日、ひとり
  幾度か杖を曳きてその森にさまよひ、往時の追懐に寂蓼の胸を慰めけ
  む。極月炬燵の楽寝、思ひ起しては惆帳に堪へず、乃ちこの歌あり。)

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