おもひ出

翼酢色《はねすいろ》水面《みのも》に褪《あ》する
夕雲と沈みもはてし
よろこびぞ、春の青海、
真白帆《ましらほ》に大日《おほひ》射《さ》す如、
あざやかに、つばらつばらに、
涙なすおもひにつれて
うかびくる胸のぞめきや。

ひとたびは、夏の林に
吹鳴《ふきな》らす小角《くだ》の響きの
うすどよむけはひ装《よそ》ひて、
みかりくら狩服人《かりぎぬびと》の
駒並《こまな》めて襲ひくる如、
恋鳥《こひどり》の鳥笛《とぶえ》たのしく
よろこびぞ胸にもえにし

燃えにしをいのちの野火《のび》と
おのづから煙に酔《ゑ》ひて、
花雲《はなぐも》の天領《あまひれ》がくり
あこがるる魂《たま》をはなてば、
小《ち》さき胸ちいさき乍《なが》ら
照りわたる魂の常宮《とこみや》、
欄干《らうかん》の宮柱《みやばしら》立て、
瓔珞《えうらく》の透簾《すゐだれ》かけて、
ゆゆしともかしこく守る
夢の門《かど》。──門や朽ちけむ、
いつしかに砕けあれたる
宮の跡、霜のすさみや、
礎《いしずえ》のたゞに冷たく。──
息《いき》吹けば君を包みし
紫の靄もほろびぬ。
ふたりしてほほゑみくみし
井《ゐ》をめぐる朝顔垣《あさがほがき》の
縄《なは》さへも、秋の小霧《をぎり》の
はれやらぬ深き湿《しめ》りに
我に似て早や朽ちはてぬ。

ああされど、サイケが燭《ともし》、
かげ揺《ゆ》れて、恋の小胸に
蝋涙《ろうるい》のこぼれて焼《や》ける
いにしへの痛《いた》みは云はじ。
とことはに心きざめる
新創《にひきづ》を、空想《おもひ》の羽《はね》の
彩羽《あやば》もてつくろひかざり、
白絹《しらぎぬ》のひひなの君に
少女子《をとめご》のぬかづく如く、
うち秘《ひ》めて斎《いつ》き行かなむ
もえし血の名残《なごり》の胸に。

(癸卯十二月末) 

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