沈める鐘((序詩))

   一

渾沌《こんどん》霧なす夢より、暗を地《つち》に、
光を天《あめ》にも劃《わか》ちしその曙、
五天の大御座《おおみざ》高うもかへらすとて、
七宝《しちほう》花咲く紫雲の『時』の輦《くるま》
瓔珞《えうらく》さゆらぐ軒より、生《せい》と法《のり》の
進みを宣《の》りたる無間《むげん》の巨鐘《おほがね》をぞ、
永遠《とは》なる生命《いのち》の証《あかし》と、海に投げて、
蒼穹《おをぞら》はるかに大神《おほかみ》知ろし立ちぬ。

時世《ときよ》は流れて、八百千《やほち》の春はめぐり、
栄光いく度さかえつ、また滅びつ、
さて猶老《おい》なく、理想の極まりなき
日と夜の大地《おほぢ》に不断《ふだん》の声をあげて、
(何等の霊異ぞ)劫初《ごふしよ》の海底《うなぞこ》より
『秘密』の響きを沈める鐘ぞ告ぐる。

   二

朝《あした》に、夕《ゆふべ》に、はた夜の深き息に、
白昼《まひる》の嵐に、擣《つ》く手もなきに鳴りて、
絶えざる巨鐘、──自然の胸の声か、
永遠《とは》なる『眠《ねむり》』か、無窮の生の『覚醒《さめ》』か、──
幽《かす》かに、朗《ほが》らに、或は雲にどよむ
高潮《たかじほ》みなぎり、悲恋《ひれん》の咽び誘ひ、
小貝《をがひ》の色にも、枯葉にさゝやきにも
ゆたかにこもれる無声の愛の響。

悵《いた》める心に、渇《かは》ける霊の唇《くち》に、
滴《したゞ》り玉なす光の清水《しみづ》めぐみ、
香りの雲吹く聖土《せいど》の青き花を
あこがれ恋ふ子《こ》に天《あめ》なる楽《がく》を伝ふ
救済《すくひ》の主《あるじ》よ、沈める鐘の声よ。
ああ汝《なれ》、尊とき『秘密』の旨《むね》と鳴るか。

   三

ひとたび汝《な》が声心の弦《いと》に添ふや、
地の人百《もゝ》たり人為の埒《らち》を超《こ》えて、
天馬《てんば》のたかぶり、血を吐く愛の叫び、
自由の精気を、耀《かゞや》く霊の影を
あつめし瞳《ひとみ》に涯《はて》なき涯を望み、
黄金《こが》の光を歴史に染めて行ける。
彫《ゑ》る名はさびたれ、かしこに、ここの丘《をか》に、
墓碑《はかいし》、──をしへのかたみを我は仰《あふ》ぐ。
暗這《は》う大野《おほの》に裂《さ》けたる裾《すそ》を曳《ひ》きて、
ああ今聞くかな、天与《てんよ》の命《めい》を告ぐる
劫初の深淵《ふかみ》ゆたゞよふ光の声。──
光に溢れて我はた神に似るか。
大空《おほぞら》地と断《た》て、さらずば天《あめ》よ降《お》りて
この世に蓮満《はしみ》つ詩人の王座作れ。

(甲辰三月十九日) 

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