塔影

眠りの大戸《おほど》に秋の日暫し凭《よ》りて
見かへる此方《こなた》に、淋しき夕の光、
劫風《ごふふう》千古《せんこ》の文《ふみ》をぞ草に染めて
金字《きんじ》の塔影《とふえい》丘辺《をかべ》に長う投げぬ。
紅爛《かうらん》朽ち果て、飛竜《ひりゆう》を彫《ゑ》れる壁の
金泥《こんでい》跡なき荒廃《すさみ》の中に立ちて、
仰《あふ》げば、乱雲《らんうん》白蛇《はくじや》の怒り凄《すご》く
見入れば幽影《ゆふえい》しじまのおごそかなる。

法鐘《はふしやう》悲音《ひおん》の教を八十百秋《やそもゝあき》
投げ出す影にと夕毎葬り来て、
乱壊《らんゑ》に驕《おご》れる古塔《こたふ》の深き胸を
照らすは消沈《しやうちん》臨終《いまは》の『秋《あき》』の瞳《ひとみ》。
(神秘《しんぴ》よ躍《をど》れや、)ああ今、夜は下《くだ》り、
寂滅《じやくめつ》封《ふう》じて、万有《ものみな》影と死にぬ。

(甲辰三月十八日夜) 

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