夢の花

まぼろし縫《ぬ》へる
白衣《びやくい》透《す》き、ほのぼのと
愛にうるほふ、それや白百合、
青緑《みどり》摺《す》りたる
弱肩《よはがた》の羅綾《うすもの》は
夢の焔の水無月《みなづき》日射《ひざし》、
揺れて覚《さ》めにき和風《やはかぜ》に、
眠ま白き夏の宮。
  (ああ我がいのち
  夏の宮。)

夢は破れき。
ああされど、(この姿、
この天《あま》けはひ、現《うつゝ》ながらに、)
こころ深くも
夢は猶、玉渦《たまうづ》の
光匂ひの波わく淵《ふち》や。
姫は思ひぬ、極熱《ごくねつ》の
南《みなみ》緑《みどり》の愛の国。
  (ああ我がいのち
  愛の国。)

光の唇《くち》に
曙《あけぼの》ぞよみがへり、
青風《あをかぜ》小琴《をごと》ただよふ森に、
逝《ゆ》きてかへらぬ
夢の夜の調和《とゝのひ》を
あこがれうるみ露吹く声に
姫はうたひぬ、驕楽《きやうらく》の
逝きてかへらぬ黄金《こがね》の世《よ》。
  (ああ我がいのち
  黄金の世。)

葉を蒸《む》す白昼《まひる》、
百鳥《もゝとり》の生《せい》の謡《うた》
あふれどよめく緑揺籃《みどりゆりご》の
枝《えだ》洩《も》れて地に
照りかへる強き日の
夏をつかれて、かほる吐息に
姫は悵《いた》みぬ、常安《とこやす》の
涼影《すゞかげ》甘《あま》き詩《うた》の海。
  (ああ我がいのち
  詩の海。)

山波遠く
沈む日の終焉《をわり》の瞳《め》、
今か沈みて、焔の白矢《しらや》、
涯《はて》なき涯を
わかれ行く魂《たま》の如、
うすれ融《と》け行く地の黄昏《たそがれ》に
姫は祈りぬ、大天《おほあめ》の
霊のいのちの夢の郷《さと》。
  (ああ我がいのち
  夢の郷。)

ひと日、日すでに
沈みゆき、乳香《にふかう》の
夜《よる》の律調《しらべ》を恋ふ百合姫《ゆりひめ》が
待夜《まちよ》ののぞみ、
その望み先《ま》づ破《や》れて、
暗に楯《たて》どる嵐の征矢《そや》に
姫はたをれぬ、残る香の
いと悵《いた》ましき夢の花。
  (ああ我がいのち
  夢の花。)

水無月《みなづき》ふかき
森かげの一《ひと》つ百合、
見えて見えざる世にあこがれし
ああその夢の
瞿粟花《けしばな》のにほひ羽《ばね》、
あまりに高く清らかなれば、
姫は萎れぬ、夜嵐の
妬《ねた》みに折《を》るる信《しん》の枝。
  (ああ我がいのち
  信の枝。)

香柏《かうはく》の根に
(幻や、げに)あはれ
夢の名残を葬むり去りて、
去りて嵐の
血《ち》寂《さ》びたる矢叫《やさけ》びは
いづち行きけむ。──ただ其夜より
姫は匂ひぬ青玉《せいぎよく》の
天壇《てんだん》い照る芸《げい》の燭《しよく》。
  (ああ我がいのち
  芸の燭)

(甲辰五月十一日夜) 

目次に戻る