ほととぎす

   (甲辰六月九日、夏の小雨の涼けき禅房の窓に、白
   蘋の花など浮べたる水鉢を置きつつ、岩野泡鳴兄へ
   文を認めぬ。時に声あり、彷彿として愁心一味の調
   を伝へ来る。屋後の森に杜鵑の鳴く也。乃ち匆々と
   して文の中に記し送りける。)

若き身ひとり静かに凭る窓の
細雨《ほそさめ》、夢の樹影《こかげ》の雫《しづく》やも。
雫にぬれて今啼《な》く、古《いにし》への
ながきほろびの夢呼《よ》ぶほととぎす。
おお我が小鳥、ひねもす汝《な》が歌ふ
哀歌《あいか》にこもれ、いのちの高き声。──
そよ、我がわかき嘆きと矜《たか》ぶりの
つきぬ源、勇みとたたかひの
糧《かて》にしあれば、汝《な》が歌、我が叫び、
これよ、相似る『愁《うれい》』の兄弟《はらから》ぞ。
愁ひの力《ちから》、(おもへば、わがいのち)
黄金《こがね》の歌の鎖《くさり》とたえせねば、
ほろべる夢も詩人の嘆きには
あらたに生《い》きぬ。愁よ驕《ほこ》りなる。

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