金甌の歌

あけぼの光纒《まと》へる青雲《あをぐも》の、
ときはかきはに眠と暗となき、
幻、律《しら》べ、さまよふ聖宇《みや》の中、
新たに匂ふいのちのほのぼのと
我は生《うま》れき。大日《おほひ》の灼《かゞ》やきに
玉膸《ぎよくずゐ》湛《たゝ》ふ黄金の花瓶を
青摺《あをずり》綾《あや》のたもとに抱きつつ。

羅《うすもの》かへし、しづかに白竜《はくりゆう》の
石階《きざはし》踏めば、星皆あつまりて、
裳裾《もすそ》を縫《ぬ》へる緑のエメラルド。
歩み動けば、小櫛《をぐし》の弦《げん》の月、
白銀《しろがね》うるむ兜《かぶと》の前《まえ》の星《ほし》。
暾下《みをろ》すかなた、仄《ほの》かに讃頌《さんしよう》の
夜の声夢の下界をどよもしぬ。

白昼《まひる》の日射《ひざし》めぐれる苑《その》の夏、
かほる檸檬《れもん》の樹影《こかげ》に休らへば、
鬩《せめ》ぎたたかふ浮世の市《いち》超えて、
見わたすかなた、青波鳴る海の
自然の楽《がく》のひびきの起伏《おきふし》に
流るゝ光、それ我が金甌《きんわう》の
みなぎる匂ひ漂ふ影なりき。

青垣《あをがき》遶り、天《あめ》突《つ》く大山《おほやま》の
いただきそそる巌に佇めば、
世は夜《よる》ながら、光の隈《くま》もなく、
無韻のしらべ、朝《あした》の鐘の如、
胸に起りて千里の空を走せ、
山、河、郷《さと》も、舟路《ふねぢ》もおしなべて
投げたる影にみながら包まれぬ。

野川《のがは》氾濫《あふ》れて岸辺の雛菊の
小花泥水《ひみづ》になやめる姿見て、
あまりに痛き運命《さだめ》を我泣くや、
水にうつれる小花のおもかげに、
幻ふかく湛《たゝ》ふる金甌の
底にかがやく生火《いくひ》の文字《もじ》にして、
いのちの主《ぬし》の涙ぞ宿れりき。

想ひの翼ひまなく、梭《をさ》の如、
あこがれ、嘆き、勇みの経緯《たてぬき》に、
見ゆる、見えざるいのちの機《はた》織《お》れば、
天地《あめつち》つつみひろごる虛《きぬ》の中、
わが金甌《きんわう》のおもてに、栄光の
七燭《しちしよく》いてる不老《ふらう》の天の楽《がく》、
ほのかに浮びただよふ影を見ぬ。

海には破船《はせん》、山には魔の叫び、
陸《くが》なる罪の館《やかた》に災禍《わざはひ》の
交々《こもごも》起る嵐の夜半《よは》の窓、
戦慄《をののき》せまるまなこを閉《と》ぢぬれば、
あでなるさまや、胸なる金甌の
おもてまろらに光の香はみちて、
たえざる天《あめ》の糧《かて》をば湛えたる。

ああ人知るや、わが抱く金甌ぞ、
(そよわがいのち)尊とき神の影、
生《い》きたる道《ことば》、生きたる天の楽《がく》、
いのちの光、ひめたる『我』なりき。
涯《はて》なく限りなきこの天地《あめつち》の
力《ちから》を力《ちから》とぞする『彼』よ、げに
我が金甌の生火《いくひ》の髄《ずい》の水。

されば我がゆく路には、ものみなの
戦ひ、愁ひ、よろこび、怒り、皆
我と守れる心の閃《ひら》めきに
融《と》けて唯一《ひとつ》の生命《いのち》にかへるなる。
ああ我が世界、すなはち、人の、また
み神の愛と力《ちから》の世界にて、
眠《ねむり》と富《とみ》の入るべき国ならず。

天地《あめつち》知ろす源《みなもと》、創造の
聖宇《みや》の光に生れし我なれば、
わが声、涙、おのづと古郷《ふるさと》の
欠《か》くる事なきいのちと愛の音《ね》に、
見よや、天なる真名井《まなゐ》の水の如、
玉髄あふれつきせぬ金甌の
雫《しづく》流れて凝《こ》りなす詩《うた》の珠《たま》。

(甲辰六月十五日) 

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