落ちし木の実

秋の日はやく母屋《おもや》の屋根に入り、
ものさびれたる夕をただひとり
紙障《しさう》をあけて、庭面《にはも》にむかふ時、
庭は風なく、落葉の音もたえて、
いと静けきに、林檎《りんご》の紅《あけ》の実《み》は
かすかに落ちぬ、波なき水潦《みづたまり》。

夕のあはき光は箒目《はゝきめ》の
ただしき地《つち》に隈《くま》なくさまよひて、
猶暮れのこるみ空の心のみ
一きは明《あか》くうつせる水潦《みづたまり》、
今色紅《あけ》の木《こ》の実《み》の落ち来しに
にはかに波の小渦《さゝうづ》立てたれど、
やがてはもとの安息《やすらぎ》うかべつつ、
再び空の心を宿しては、
その遠蒼《とをあを》き光に一粒《いちりふ》の
りんごのあたり縁《ふち》どりぬ。

ああこの小さき木の実よ、八百千歳《やほちとせ》、
かくこそ汝《なれ》や静かに落ちにけむ。
またもも年《とせ》の昔に、西人《にしびと》が
想ひに耽る庭にとおとなひて、
尊とき神の力《ちから》の一鎖《ひとくさり》、
かくこそ落ちて、彼《かれ》には語りけめ。

我今人のこの世のはかなさに
つらさに泣きて、運命《さだめ》の遠き路、
いづこへ、若《わか》きかよはきこのむくろ
運《はこ》ばむものと秘《ひそ》かに惑《まど》へりき。
落ちぬる汝《なれ》を眺めて、我はまた、
辛《つら》からず、はたはかなき影ならぬ
たふとき神の力の世をば知る。

汝《なれ》何故にかくまで静けきぞ、──
人はみづから運命《さだめ》に足《た》りかねて、
さびしき広みはてなき暗の野の
躓《つまづ》き、にがき悲哀《ひあい》の実《み》を喰《は》むに、
何故汝のかくまで安けきぞ、──
足《た》るある如く、落ちては動かずに
心に何か深くも信頼《たよ》る如。

夜の歩みは漸く迫《せま》り来て、
羽弱《はよわ》か、群《むれ》に後れし夕鴉《ゆふがらす》
寂《さび》ある声に友呼ぶ高啼《たかな》きや、
水面《みのも》にうきしみ空の明《あか》るみも
消えては、せまきわが庭黝《くろず》みぬ。
ああこの暗の吐息のたゞ中《なか》よ、
灯《ひ》ともす事も、我をも忘《ぼう》じては、
よみがへりくる心の光もて
か黒き土《つち》のさまなる木の実をば
打眺めつつ、静かに跼《ひざま》づく。

(九月十九日) 

目次に戻る