悲しき玩具

呼吸《いき》すれば、
胸《むね》の中《うち》にて鳴《な》る音《おと》あり。
 凩《こがらし》よりもさびしきその音《おと》!

眼《め》閉《と》づれど、
心《こころ》にうかぶ何《なに》もなし。
 さびしくも、また、眼《め》をあけるかな。

途中《とちう》にてふと気《き》が変《かは》り、
つとめ先《さき》を休《やす》みて、今日《けふ》も、
河岸《かし》をさまよへり。

咽喉《のど》がかわき、
まだ起《お》きてゐる果物屋《くだものや》を探《さが》しに行《い》きぬ。
秋《あき》の夜《よ》ふけに。

遊《あそ》びに出《で》て子供《こども》かへらず、
取《と》り出《だ》して
走《はし》らせて見《み》る玩具《おもちや》の機関車《きくわんしや》。

本《ほん》を買《か》ひたし、本《ほん》を買《か》ひたしと、
あてつけのつもりではなけれど、
妻《つま》に言《い》ひてみる。

旅《たび》を思《おも》ふ夫《をつと》の心《こころ》!
叱《しか》り、泣《な》く、妻子《つまこ》の心《こころ》!
朝《あさ》の食卓《しよくたく》!

家《いへ》を出《で》て五町《ごちやう》ばかりは、
用《よう》のある人《ひと》のごとくに
歩《ある》いてみたれど――

痛《いた》む歯《は》をおさへつつ、
日《ひ》が赤赤《あかあか》と、
冬《ふゆ》の靄《もや》の中《なか》にのぼるを見《み》たり。

いつまでも歩《ある》いてゐねばならぬごとき
思《おも》ひ湧《わ》き来《き》ぬ、
深夜《しんや》の町町《まちまち》。

なつかしき冬《ふゆ》の朝《あさ》かな。
湯《ゆ》をのめば、
湯気《ゆげ》がやはらかに、顔《かほ》にかかれり。

何《なん》となく、
今朝《けさ》は少《すこ》しく、わが心《こころ》明《あか》るきごとし。
手《て》の爪《つめ》を切《き》る。

うつとりと
本《ほん》の挿絵《さしゑ》に眺《ながめ》め入《い》り、
煙草《たばこ》の煙《けむり》吹《ふ》きかけてみる。

途中《とちう》にて乗換《のりかへ》の電車《でんしや》なくなりしに、
泣《な》かうかと思《おも》ひき。
雨《あめ》も降《ふ》りてゐき。

二晩《ふたばん》おきに、
夜《よ》の一時頃《いちじごろ》に切通《きりどほし》の坂《さか》を上《のぼ》りしも――
勤《つと》めなればかな。

しつとりと
酒《さけ》のかをりにひたりたる
脳《なう》の重《おも》みを感《かん》じて帰《かえ》る。

今日《けふ》もまた酒《さけ》のめるかな!
酒《さけ》のめば
胸《むね》のむかつく癖《くせ》を知《し》りつつ。

何事《なにごと》か今《いま》我《われ》つぶやけり。
かく思《おも》ひ、
目《め》をうちつぶり、酔《ゑ》ひを味《あぢは》ふ。

すつきりと酔《ゑ》ひのさめたる心地《ここち》よさよ!
夜中《よなか》に起きて、
墨《すみ》を磨《す》るかな。

真夜中《まよなか》の出窓《でまど》に出《い》でて、
欄干《らんかん》の霜《しも》に
手先《てさき》を冷《ひ》やしけるかな。

どうなりと勝手《かつて》になれといふごとき
わがこのごろを
ひとり恐《おそ》るる。

手《て》も足《あし》もはなればなれにあるごとき
ものうき寝覚《ねざめ》!
かなしき寝覚《ねざめ》!

朝《あさ》な朝《あさ》な
撫《な》でてかなしむ、
下《した》にして寝《ね》た方《ほう》の腿《もも》のかろきしびれを。

曠野《あらの》ゆく汽車《きしや》のごとくに、
このなやみ、
ときどき我《われ》の心《こころ》を通《とほ》る。

みすぼらしき郷里《くに》の新聞《しんぶん》ひろげつつ、
誤植《ごしよく》ひろへり。
今朝《けさ》のかなしみ。

誰《たれ》か我《われ》を
思《おも》ふ存分《ぞんぶん》叱《しか》りつくる人《ひと》あれと思《おも》ふ。
何《なん》の心《こころ》ぞ。

何《なに》がなく
初恋人《はつこひびと》のおくつきに詣《まう》づるごとし。
郊外《こうぐわい》に来《き》ぬ。

なつかしき
故郷《こきやう》にかへる思《おも》ひあり、
久《ひさ》し振《ぶ》りにて汽車《きしや》に乗《の》りしに。

新《あたら》しき明日《あす》の来《きた》るを信《しん》ずといふ
自分《じぶん》の言葉《ことば》に
嘘《うそ》はなけれど――

考《かんが》へれば、
ほんとに欲《ほ》しと思《おも》ふこと有《あ》るやうで無《な》し。
煙管《きせる》をみがく。

今日《けふ》ひよいと山《やま》が恋《こひ》ひしくて
山《やま》に来《き》ぬ。
去年《きよねん》腰掛《こしか》けし石《いし》をさがすかな。

朝寝《あさね》して新聞《しんぶん》読《よ》む間《ま》なかりしを
負債《ふさい》のごとく
今日《けふ》も感《かん》ずる。

よごれたる手《て》をみる――
ちやうど
この頃《ごろ》の自分《じぶん》の心《こころ》に対《むか》ふがごとし。

よごれたる手《て》を洗《あら》ひし時《とき》の
かすかなる満足《まんぞく》が
今日《けふ》の満足《まんぞく》なりき。

年《とし》明《あ》けてゆるめる心《こころ》!
うつとりと
来《こ》し方《かた》をすべて忘《わす》れしごとし。

昨日《きのふ》まで朝《あさ》から晩《ばん》まで張《は》りつめし
あのこころもち
忘《わす》れじと思《おも》へど。

戸《と》の面《も》には羽子《はね》突《つ》く音《おと》す。
笑《わら》う聲《こゑ》す。
去年《きよねん》の正月《しやうぐわつ》にかへれるごとし。

何《なんと》となく、
今年《ことし》はよい事《こと》あるごとし。
元日《ぐわんじつ》の朝《あさ》、晴《は》れて風《かぜ》無《な》し。

腹《はら》の底《そこ》より欠伸《あくび》もよほし
ながながと欠伸《あくび》してみぬ、
今年《ことし》の元日《ぐわんじつ》。

いつの年《とし》も、
似《に》たよな歌《うた》を二《ふた》つ三《み》つ
年賀《ねんが》の文《ふみ》に書《か》いてよこす友《とも》。

正月《しやうぐわつ》の四日《よつか》になりて
あの人《ひと》の
年《ねん》に一度《いちど》の葉書《はがき》も来《き》にけり。

世《よ》におこなひがたき事《こと》のみ考《かんが》へる
われの頭《あたま》よ!
今年《ことし》もしかるか。

人《ひと》がみな
同《おな》じ方角《はうがく》に向《む》いて行《ゆ》く。
それを横《よこ》より見《み》てゐる心《こころ》。

いつまでか、
この見飽《みあ》きたる懸額《かけがく》を
このまま懸《か》けてておくことやらむ。

ぢりぢりと、
蝋燭《らふそく》の燃《も》えつくるごとく、
夜《よる》となりたる大晦日《おほみそか》かな。

青塗《あをぬり》の瀬戸《せと》の火鉢《ひばち》によりかかり、
眼《め》閉《と》ぢ、眼《め》を開《あ》け、
時《とき》を惜《をし》めり。

何《なん》となく明日《あす》はよき事《こと》あるごとく
思《おも》ふ心《こころ》を
叱《しか》りて眠《ねむ》る。

過《す》ぎゆける一年《いちねん》のつかれ出《で》しものか、
元日《ぐわんじつ》といふに
うとうと眠《ねむ》し。

それとなく
その由《よ》るところ悲《かな》しまる、
元日《ぐわんじつ》の午後《ごご》の眠《ねむ》たき心《こころ》。

ぢつとして、
蜜柑《みかん》のつゆに染《そ》まりたる爪《つめ》を見《み》つむる
心《こころ》もとなさ!

手《て》を打《う》ちて
眠気《ねむけ》の返事《へんじ》きくまでの
そのもどかしさに似《に》たるもどかしさ!

やみがたき用《よう》を忘《わす》れ来《き》ぬ――
途中《とちう》にて口《くち》に入《い》れたる
ゼムのためなりし。

すつぽりと蒲団《ふとん》をかぶり、
足《あし》をちゞめ、
舌《した》を出《だ》してみぬ、誰《たれ》にともなしに。

いつしかに正月《しやうぐわつ》も過《す》ぎて、
わが生活《くらし》が
またもとの道《みち》にはまり来《きた》れり。

神様《かみさま》と議論《ぎろん》して泣《な》きし――
あの夢《ゆめ》よ!
四日《よつか》ばかりも前《まへ》の朝《あさ》なりし。

家《いへ》にかへる時間《じかん》となるを、
ただ一《ひと》つの待《ま》つことにして、
今日《けふ》も働《はたら》けり。

いろいろの人《ひと》の思《おも》はく
はかりかねて、
今日《けふ》もおとなしく暮《く》らしたるかな。

おれが若《も》しこの新聞《しんぶん》の主筆《しゆひつ》ならば、
やらむ――と思《おも》ひし
いろいろの事《こと》!

石狩《いしかり》の空知郡《そらちごほり》の
牧場《ぼくぢやう》のお嫁《よめ》さんより送《おく》り来《き》し
バタかな。

外套《ぐわいとう》の襟《えり》に頤《あご》を埋《うづ》め、
夜《よ》ふけに立《たち》どまりて聞《き》く。
よく似《に》た聲《こゑ》かな。

Yといふ符牒《ふてふ》、
古日記《ふるにつき》の処処《しよしよ》にあり――
Yとはあの人《ひと》の事《こと》なりしかな。

百姓《ひやくせう》の多《おほ》くは酒《さけ》をやめしといふ。
もつと困《こま》らば、
何《なに》をやめるらむ。

目《め》さまして直《す》ぐの心《こころ》よ!
年《とし》よりの家出《いへで》の記事《きじ》にも
涙《なみだ》出《い》でたり。

人《ひと》とともに事《こと》をはかるに
適《てき》せざる、
わが性格《せいかく》を思《おも》ふ寝覚《ねざめ》かな。

何《なに》となく、
案外《あんぐわい》に多《おほ》き気《き》もせらる、
自分《じぶん》と同《おな》じこと思《おも》ふ人《ひと》。

自分《じぶん》よりも年《とし》若《わか》き人《ひと》に、
半日《はんにち》も気焔《きえん》を吐《は》きて、
つかれし心《こころ》!

珍《めづ》らしく、今日《けふ》は、
議会《ぎくわい》を罵《ののし》りつつ涙《なみだ》出《い》でたり。
うれしと思《おも》ふ。

ひと晩《ばん》に咲《さ》かせてみむと、
梅《うめ》の鉢《はち》を火《ひ》に焙《あぶ》りしが、
咲《さ》かざりしかな。

あやまちて茶碗《ちやわん》をこはし、
物《もの》をこはす気持《きもち》のよさを、
今朝《けさ》も思《おも》へる。

猫《ねこ》の耳《みみ》を引《ひ》つぱりてみて、
にやと啼《な》けば、
びつくりして喜《よろこぶ》ぶ子供《こども》の顔《かほ》かな。

何故《なぜ》かうかとなさけなくなり、
弱《よわ》い心《こころ》を何度《なんど》も叱《しか》り、
金《かね》かりに行《い》く。

待《ま》てど、待《ま》てど、
来《く》る筈《はず》の人《ひと》の来《こ》ぬ日《ひ》なりき、
机《つくへ》の位置《いち》を此処《ここ》に変《か》へしは。

古新聞《ふるしんぶん》!
おやここにおれの歌《うた》の事《こと》を賞《ほ》めて書《か》いてあり
二三行《にさんぎやう》なれど。

引越《ひつこ》しの朝《あさ》の足《あし》もとに落《お》ちてゐぬ、
女《をんな》の写真《しやしん》!
忘《わす》れゐし写真《しやしん》!

その頃《ころ》は気《き》もつかざりし
仮名《かな》ちがひの多《おほ》きことかな、
昔《むかし》の恋文《こひぶみ》!

八年前《はちねんまえ》の
今《いま》のわが妻《つま》の手紙《てがみ》の束《たば》!
何処《どこ》の蔵《しま》ひしかと気《き》にかかるかな。

眠《ねむ》られぬ癖《くせ》のかなしさよ!
すこしでも
眠気《ねむけ》がさせば、うろたへて寝《ね》る。

笑《わら》ふにも笑《わら》はれざりき――
長《なが》いこと捜《さが》したナイフの
手《て》の中《うち》にありしに。

この四五年《しごねん》、
空《そら》を仰《あふ》ぐといふことが一度《いちど》もなかりき。
かうもなるものか?

原稿紙《げんかうし》にでなくては
字《じ》を書《か》かぬものと、
かたく信《しん》ずる我《わ》が児《こ》のあどけなさ!

どうかかうか、今月《こんげつ》も無事《ぶじ》に暮《く》らしたりと、
外《ほか》に欲《よく》もなき
晦日みそか》の晩《ばん》かな。

あの頃《ころ》はよく嘘《うそ》を言《い》ひき。
平気《へいき》にてよく嘘《うそ》を言《い》ひき。
汗《あせ》が出《い》づるかな。

古手紙《ふるてがみ》よ!
あの男《をとこ》とも、五年前《ごねんまへ》は、
かほど親《した》しく交《まじ》はりしかな。

名《な》は何《なん》と言《い》ひけむ。
姓《せい》は鈴木《すずき》なりき。
今《いま》はどうして何処《どこ》にゐるらむ。

生《うま》れたといふ葉書《はがき》みて、
ひとしきり、
顔《かほ》をはれやかにしてゐたるかな。

そうれみろ、
あの人《ひと》も子《こ》をこしらへたと、
何《なに》か気《き》の済《す》む心地《こゝち》にて寝《ね》る。

『石川《いしかは》はふびんな奴《やつ》だ。』
ときにかう自分《じぶん》で言《い》ひて、
かなしみてみる。

ドア推《お》してひと足《あし》出《で》れば、
病人《びやうにん》の目《め》にはてもなき
長廊下《ながらうか》かな。

重《おも》い荷《に》を下《おろ》したやうな、
気持《きもち》なりき、
この寝台《ねだい》の上《うへ》に来《き》ていねしとき。

そんならば生命《いのち》が欲《ほ》しくないのかと、
医者《いしや》に言《い》はれて、
だまりし心《こころ》!

真夜中《まよなか》にふと目《め》がさめて、
わけもなく泣《な》きたくなりて、
蒲団《ふとん》をかぶれる。

話《はなし》しかけて返事《へんじ》のなきに
よく見《み》れば、
泣《な》いてゐたりき、隣《となり》の患者《くわんじや》。

病室《びやうしつ》の窓《まど》にもたれて、
久《ひさ》しぶりに巡査《じゆんさ》を見《み》たりと
よろこべるかな。

晴《は》れし日《ひ》のかなしみの一《ひと》つ!
病室《びやうしつ》の窓《まど》にもたれて
煙草《たばこ》を味《あぢは》ふ。

夜《よる》おそく何処《どこ》やらの室《へや》の騒《さは》がしきは
人《ひと》や死《し》にたらむと、
息《いき》をひそむる。

脉《みやく》をとる看護婦《かんごふ》の手《て》の、
あたたかき日《ひ》あり、
つめたく堅《かた》き日《ひ》もあり。

病院《びやうゐん》に入《い》りて初《はじ》めての夜《よ》といふに、
すぐ寝入《ねい》りしが、
物足《ものた》らぬかな。

何《なに》となく自分《じぶん》をえらい人《ひと》のやうに
思《おも》ひてゐたりき。
子供《こども》なりしかな。

ふくれたる腹《はら》を撫《な》でつつ、
病院《びやうゐん》の寝台《ねだい》に、ひとり、
かなしみてあり。

目《め》さませば、からだ痛《いた》くて
動《うご》かれず。
泣《な》きたくなりて夜明《よあ》くるを待《ま》つ。

びつしよりと盗汗《ねあせ》出《で》てゐる
あけがたの
まだ覚《さ》めやらぬ重《おも》きかなしみ。

ぼんやりとした悲《かな》しみが、
夜《よ》となれば、
寝台《ねだい》の上《うへ》にそつと来《き》て乗《ね》る。

病院《びやうゐん》の窓《まど》によりつつ、
いろいろの人《ひと》の
元気《げんき》に歩《ある》くを眺《なが》む。

もうお前《まへ》の心底《しんてい》をよく見届《みとど》けたと、
夢《ゆめ》に母《はは》来《き》て
泣《な》いてゆきしかな。

思《おも》ふこと盗《ぬす》みきかるる如《ごと》くにて、
つと胸《むね》を引《ひ》きぬ――
聴診器《ちやうしんき》より。

看護婦《かんごふ》の徹夜《てつや》するまで、
わが病《やま》ひ、
わるくなれともひそかに願《ねが》へる。

病院《びやうゐん》に来《き》て、
妻《つま》や子《こ》をいつくしむ
まことの我《われ》にかへりけるかな。

もう嘘《うそ》をいはじと思《おも》ひき――
それは今朝《けさ》――
今《いま》また一《ひと》つ嘘《うそ》をいへるかな。

何《なん》となく、
自分《じぶん》を嘘《うそ》のかたまりの如《ごと》く思《おも》ひて、
目《め》をばつぶれる。

今《いま》までのことを
みな嘘《うそ》にしてみれど、
心《こころ》すこしも慰《なぐさ》まざりき。

軍人《ぐんじん》になると言《い》ひ出《だ》して、
父母《ちちはは》に
苦労《くらう》させたる昔《むかし》の我《われ》かな。

うつとりとなりて、
剣《けん》をさげ、馬《うま》にのれる己《おの》が姿《すがた》を
胸《けん》に描《ゑが》ける。

藤沢《ふじさは》といふ代議士《だいぎし》を
弟《おとうと》のごとく思《おも》ひて、
泣《な》いてやりしかな。

何《なに》か一《ひと》つ
大《おほ》いなる悪事《あくじ》しておいて、
知《し》らぬ顔《かほ》してゐたき気持《きもち》かな。

ぢつとして寝《ね》ていらつしやいと
 子供《こども》にでもいふがごとくに
 医者《いしや》のいふ日《ひ》かな。

氷嚢《へうのう》の下《した》より
まなこを光《ひか》らせて、
 寝《ね》られぬ夜《よる》は人《ひと》をにくめる。

春《はる》の雪《ゆき》みだれて降《ふ》るを
 熱《ねつ》のある目《め》に
 かなしくも眺《なが》め入《い》りたる。

人間《にんげん》のその最大《さいだい》のかなしみが
 これかと
ふつと目《め》をばつぶれる。

回診《くわいしん》の医者《いしや》の遅《おそ》さよ!
痛《いた》みある胸《むね》に手《て》をおきて
 かたく眼《め》をとづ。

医者《いしや》の顔色《かほいろ》をぢつと見《み》し外《ほか》に
何《なに》も見《み》ざりき――
 胸《むね》の痛《いた》み募《つの》る日《ひ》。

 病《や》みてあれば心《こころ》も弱《よは》るらむ!
さまざまの
泣《な》きたきことが胸《むね》にあつまる。

寝《ね》つつ読《よ》む本《ほん》の重《おも》さに
 つかれたる
手《て》を休《やす》めては、物《もの》を思《おも》へり。

今日《けふ》はなぜか、
 二度《にど》も、三度《さんど》も、
 金側《きんがわ》の時計《とけい》を一《ひと》つ欲《ほ》しと思《おも》へり。

いつか是非《ぜひ》、出《だ》さんと思《おも》ふ本《ほん》のこと、
表紙《へうし》のことなど、
 妻《つま》に語《かた》れる。

胸いたみ、
春の霙《みぞれ》の降《ふ》る日《ひ》なり。
 薬《くすり》に噎《む》せて伏《ふ》して眼《め》をとづ。

あたらしきサラドの色《いろ》の
 うれしさに、
箸《はし》とりあげて見《み》は見《み》つれども――

子《こ》を叱《しか》る、あはれ、この心《こころ》よ。
 熱《ねつ》高《たか》き日《ひ》の癖《くせ》とのみ
 妻《つま》よ、思《おも》ふな。

運命《うんめい》の来《き》て乗《の》れるかと
 うたがひぬ――
蒲団《ふとん》の重《おも》き夜半《よは》の寝覚《ねざ》めに。

たへがたき渇《かわ》き覚《おぼ》ゆれど、
 手《て》をのべて
 林檎《りんご》とるだにものうき日《ひ》かな。

氷嚢《へうのう》のとけて温《ぬる》めば、
おのづから目《め》がさめ来《きた》り、
 からだ痛《いた》める

いま、夢《ゆめ》に閑古鳥《かんこどり》を聞《き》けり。
 閑古鳥《かんこどり》を忘《わす》れざりしが
 かなしくあるがな。

ふるさとを出《い》でて五年《いつとせ》、
 病《やまひ》をえて、
かの閑古鳥《かんこどり》を夢《ゆめ》にきけるかな。

閑古鳥《かんこどり》――
 渋民村《しぶたみむら》の山荘《さんさう》をめぐる林《はやし》の
 あかつきなつかし。

ふるさとの寺《てら》の畔《ほとり》の
 ひばの木《き》の
いただきに来《き》て啼《な》きし閑古鳥《かんこどり》!

脈《みやく》をとる手《て》のふるひこそ
かなしけれ――
 医者《いしや》に叱《しか》られし若《わか》き看護婦《かんごふ》!

いつとなく記憶《きおく》に残《のこ》りぬ――
 Fといふ看護婦《かんごふ》の手《て》の
つめたさなども。

はづれまで一度《いちど》ゆきたしと
 思《おも》ひゐし
かの病院《びやういん》の長廊下《ながらうか》かな。

起《お》きてみて、
また直《す》ぐ寝《ね》たくなる時《とき》の
 力《ちから》なき眼《め》に愛《め》でしチユリツプ!

堅《かた》く握《にぎ》るだけの力《ちから》も無《な》くなりし
やせし我《わ》が手《て》の
 いとほしさかな。

わが病《やまひ》の
 その因《よ》るところ深《ふか》く且《か》つ遠《とほ》きを思《おも》ふ。
 目《め》をとぢて思《おも》ふ。

かなしくも、
 病《やまひ》いゆるを願《ねが》はざる心《こころ》我《われ》に在《あ》り。
何《なん》の心《こころ》ぞ。

新《あたら》しきからだを欲《ほ》しと思《おも》ひけり、
 手術《しゆじゆつ》の傷《きづ》の
 痕《あと》を撫《な》でつつ。

薬《くすり》のむことを忘《わす》るるを、
 それとなく、
たのしみに思《おも》ふ長病《ながやまひ》かな。

ボロオヂンといふ露西亜名《ろしあな》が、
 何故《なぜ》ともなく、
幾度《いくど》も思《おも》ひ出《だ》さるる日《ひ》なり。

いつとなく我《われ》にあゆみ寄《よ》り、
 手《て》を握《にぎ》り、
またいつとなく去《さ》りゆく人人《ひとびと》!

友《とも》も妻《つま》もかなしと思《おも》ふらし――
 病《や》みても猶《なほ》、
 革命《かくめい》のこと口《くち》に絶《た》たねば。

やや遠《とほ》きものに思《おも》ひし
テロリストの悲《かな》しき心《こころ》も――
 近《ちか》づく日《ひ》のあり。

かかる目《め》に
 すでに幾度《いくたび》会《あ》へることぞ!
成《な》るがままに成《な》れと今《いま》は思《おも》ふなり。

月《つき》に三十円《さんじゆうゑん》もあれば、田舎《ゐなか》にては
楽《らく》に暮《く》せると――
 ひよつと思《おも》へる。

今日《けふ》もまた胸《むね》に痛《いた》みあり。
 死《し》ぬならば、
 ふるさとに行《ゆ》きて死《し》なむと思《おも》ふ。

いつしかに夏《なつ》となれりけり。
 やみあがりの目《め》にこころよき
 雨《あめ》の明《あか》るさ!

病《や》みて四月《しぐわつ》――
 そのときどきに変《かわ》りたる
 くすりの味《あぢ》もなつかしきかな。

病《や》みて四月《しぐわつ》――
 その間《ま》にも、猶《なほ》、目《め》に見《み》えて、
 わが子《こ》の背丈《せたけ》のびしかなしみ。

すこやかに、
背丈《せたけ》のびゆく子《こ》を見《み》つつ、
 われの日毎《ひごと》にさびしきは何《な》ぞ。

まくら辺《べ》に子《こ》を坐《すわ》らせて、
まじまじとその顔《かほ》を見《み》れば、
 逃《に》げてゆきしかな。

いつも、子《こ》を
 うるさきものに思《おも》ひゐし間《あひだ》に、
その子《こ》、五歳《ごさい》になれり。

その親《おや》にも、
 親《おや》の親《おや》にも似《に》るなかれ――
かく汝《な》が父《ちち》は思《おも》へるぞ、子《こ》よ。

かなしきは、
 (われもしかりき)
 叱《しか》れども、打《う》てども泣《な》かぬ児《こ》の心《こころ》なる。

「労働者《らうどうしや》」「革命《かくめい》」などといふ言葉《ことば》を
 聞《き》きおぼえたる
 五歳《ごさい》の子《こ》かな。

時《とき》として、
 あらん限《かぎ》りの声《こゑ》を出《だ》し、
唱歌《しやうか》をうたふ子《こ》をほめてみる。

 何《なに》思《おも》ひけむ――
玩具《おもちや》をすてて、おとなしく、
わが側《そば》に来《き》て子《こ》の坐《すわ》りたる。

お菓子《かし》貰《もら》ふ時《とき》も忘《わす》れて、
 二階《にかい》より、
 町《まち》の往来《ゆきき》を眺《なが》むる子《こ》かな。

新《あたら》しきインクの匂《にほ》ひ、
目《め》に沁《し》むもかなしや。
 いつか庭《には》の青《あを》めり。

ひとところ、畳《たたみ》を見《み》つめてありし間《ま》の
 その思《おも》ひを、
妻《つま》よ、語《かた》れといふか。

あの年《とし》のゆく春《はる》のころ、
眼《め》をやみてかけし黒眼鏡《くろめがね》――
 こはしやしにけむ。

薬《くすり》のむことを忘《わす》れて、
 ひさしぶりに、
母《はは》に叱《しか》られしをうれしと思《おも》へる。

枕辺《まくらべ》の障子《しやうじ》あけさせて、
空《そら》を見《み》る癖《くせ》もつけるかな――
 長《なが》き病《やまひ》に。

おとなしき家畜《かちく》のごとき
 心《こころ》となる、
熱《ねつ》やや高《たか》き日《ひ》のたよりなさ。

何《なに》か、かう、書《か》いてみたくなりて、
 ペンを取《と》りぬ――
花活《はないけ》のあたらしき朝《あさ》。

放《はな》たれし女《をんな》のごとく、
わが妻《つま》の、振舞《ふるま》ふ日《ひ》なり。
 ダリヤを見入《みい》る。

あてもなき金《かね》などを待《ま》つ思《おも》ひかな。
 寝《ね》つ、起《お》きつして、
 今日《けふ》も暮《くら》したり。

何《なに》もかもいやになりゆく
この気持《きもち》よ。
 思《おも》ひ出《だ》しては煙草《たばこ》を吸《す》ふなり。

或《あ》る市《まち》にゐし頃《ころ》の事《こと》として、
 友《とも》の語《かた》る
恋《こひ》がたりに嘘《うそ》の交《まじ》るかなしさ。

ひさしぶりに、
 ふと声《こゑ》を出《だ》して笑《わら》ひてみぬ――
蝿《はひ》の両手《りやうて》を揉《も》むが可笑《をか》しさに。

胸《むね》いたむ日《ひ》のかなしみも、
 かをりよき煙草《たばこ》の如《ごと》く、
 棄《す》てがたきかな。

何《なに》か一《ひと》つ騒《さわ》ぎを起《おこ》してみたかりし、
 先刻《さつき》の我《われ》を
 いとしと思《おも》へる。

五歳《ごさい》になる子《こ》に、何故《なぜ》ともなく、
ソニヤといふ露西亜名《ろしあな》をつけて、
 呼《よ》びてはよろこぶ。

解《と》けがたき
不和《ふわ》のあひだに身《み》を処《しよ》して、
 ひとりかなしく今日《けふ》も怒《いか》れり。

猫《ねこ》を飼《か》はば、
その猫《ねこ》がまた争《あらそ》ひの種《たね》となるらむ、
 かなしきわが家《いへ》。

俺《おれ》ひとり下宿屋《げしゆくや》にやりてくれぬかと、
 今日《けふ》も、あやふく、
 いひ出《い》でしかな。

ある日《ひ》、ふと、やまひを忘《わす》れ、
牛《うし》の啼《な》く真似《まね》をしてみぬ、――
 妻子《つまこ》の留守《るす》に。

かなしきは我《わ》が父《ちち》!
 今日《けふ》も新聞《しんぶん》を読《よ》みあきて、
 庭《には》に小蟻《こあり》と遊《あそ》べり。

ただ一人《ひとり》の
をとこの子《こ》なる我《われ》はかく育《そだ》てり。
 父母《ふぼ》もかなしかるらむ。

茶《ちや》まで断《た》ちて、
わが平復《へいふく》を祈《いの》りたまふ
 母《はは》の今日《けふ》また何《なに》か怒《いか》れる。

今日《けふ》ひよつと近所《きんじよ》の子等《こら》と遊《あそ》びたくなり、
呼《よ》べど来《こ》らず。
 こころむづかし。

やまひ癒《い》えず、
死《し》なず、
 日毎《ひごと》にこころのみ険《けは》しくなれる七八月《ななやつき》かな。

買《か》ひおきし
薬《くすり》つきたる朝《あさ》に来《き》し
 友《とも》のなさけの為替《かはせ》のかなしさ。

児《こ》を叱《しか》れば、
泣《な》いて、寝入《ねい》りぬ。
 口《くち》すこしあけし寝顔《ねがほ》にさはりてみるかな。

何《なに》がなしに
肺《はひ》が小《ちい》さくなれる如《ごと》く思《おも》ひて起《お》きぬ――
 秋《あき》近《ちか》き朝《あさ》。

秋《あき》近《ちか》し!
 電燈《でんとう》の球《たま》のぬくもりの
 さはれば指《ゆび》の皮膚《ひふ》に親《した》しき。

ひる寝《ね》せし児《こ》の枕辺《まくらべ》に
人形《にんげう》を買《か》ひ来《き》てかざり、
 ひとり楽《たの》しむ。

クリストを人《ひと》なりといへば、
 妹《いもうと》の眼《め》がかなしくも、
 われをあはれむ。

椽先《えんさき》にまくら出《だ》させて、
 ひさしぶりに、
 ゆふべの空《そら》にしたしめるかな。

庭《には》のそとを白《しろ》き犬《いぬ》ゆけり。
 ふりむきて、
 犬《いぬ》を飼《か》はむと妻《つま》にはかれる。

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