八木重吉

まりを ぽくぽくつくきもちで ごはんを たべたい 目次に戻る

かんしんしようったって なかなか ゆう焼のうつくしさはわかりきらない わかったっていいきれない ぽくぽく ぽくぽく まりをついてるとよくわかる 目次に戻る

ぽくぽく ぽくぽく まりを ついてると にがい にがい いままでのことが ぽくぽく ぽくぽく むすびめが ほぐされて 花がさいたようにみえてくる 目次に戻る

ぽくぽくひとりでついていた わたしのまりを ひょいと あなたになげたくなるように ひょいと あなたがかえしてくれるように そんなふうになんでもいったらなあ 目次に戻る

あかんぼが あん あん あん あん ないているのと まりが ぽく ぽく ぽく ぽくつかれているのと 火がもえてるのと 川がながれてるのと 木がはえてるのと あんまりちがわないとおもうよ 目次に戻る

こどもがよくて おとながわるいことは まりをつけばよくわかる 目次に戻る

てくてくと こどものほうへもどってゆこう 目次に戻る

いろいろな 世界があることはたしかだ ひとつのもの 鉄でさえそうだ くされた鉄があり やくにたつかたい鉄があり とけてぷるぷるふるえる 「鉄よりも鉄」の鉄がある じごくがあり てんごくがあり にんげんの世もある みえたりみえなかったりする 目次に戻る

真理のほかに まだほかの真理がある みないで それをしんじうるものはさいわいである 目次に戻る

憶え書

鞠とぶりきの独楽 及びそれよりうえにとじてあるのは、皆 今夜――(六月一八日の夜)の作なり。これ等は童謡ではない。むねふるえる 日の全てをもてうたえる大人の詩である。まことの童謡のせかいにすむものは こどもか 神さまかである。 目次に戻る

鞠とぶりきの独楽

一九二四年(大正一三年)六月一八日編 目次 憶え書 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 鞠 おもちゃ

お前と わたし と すなわち 山と 空と 路と 電柱と そして わたし と ぬくい 秋の日に対《むか》い合っている しずかな 山 しずかな わたし 上に戻る ルビは《》で示した。 底本:「定本 八木重吉」彌生書房(平成5年)

死は おそろしく 死は なつかしげなる 初恋の ひとの 乳房に 似るか 上に戻る

夢に みし 空の 青かりき 山の土と 草の うれしく ありき 上に戻る

白い哄笑

一九二三年(大正一二年)編

妻は陽二を抱いて 私は桃子の手をひっぱって外へ出た だれも見ていない森はずれの日だまりへきて みんなして踊ってあそんだ 底本:「定本 八木重吉」彌生書房(平成5年)ルビは《》で示した。

巨きな 赤ん坊が どこかに向うをむいて坐っている まるで大仏のようなひろい背中だ その肩のあたりとお臀《しり》のあたりの むっちり持ちあがった工合にわくわくとさせられる

冬の裾にだけみえるうすい雲は けぶりにようなものを吐いている あれは少しもわざとらしいところが無い 極くあたりまえな風をしていながら 死ぬことなんか なんとも思っていないその様子につよく惹かれる

夜の踊

ふとした拍子に なにもかも 投げだした気持ちになれることがある うっすらとした 目先きだけの考えになるが 人に話してもわからぬほど 力強いものがはりきってくる さっきも そんな気持ちになって 桃子が眼をほそくしたり ひょろひょろしたりして踊っている…

冬は ことに夜になると凄い けれど その気持ちのまんなかに きっと明るいものが小さくともっている

御馳走

皆んなと一所に 御馳走によばれた まぐろの刺身やなんか綺麗にならんでいる でも ぬっと鼻ばしらのあたりへ 棒のような寂しいものがあるのをどうしりゃあいいんだろう

洗礼

水から上ったとき イエスの頭のとこが あかるくなり 鳩のようなものが 見えた そして だしぬけに音がしたとおもったら これは 神の子である これはじぶんのよろこぶ者であるときこえた

あの 夕ぐれの雲は 国の父が妙な手つきでならべたようだ

私が三月も入院して 死ぬかと言われたのに 癒《なお》って国へ俥《くるま》で帰りつく日 父は凱旋将軍のように俥のわきへついて歩るいていた 黒い腿《もも》引きをけつっきりひんまくって あの父をおもうとたまらなくなる

基督

神はどこにいるのか 基督がしっている 人間はどうして救われるのか 全力をつくしても人間は救われはしない 基督をいま生きていると信じることだ 基督に自分の罪を悔ゆることだ

天にいますわれ達の父よ あなたをおもうことをいつも最後のねがいとなしたまえ 子がそのほしき赤いリボンにすべてのおもいを帰するごとく 私のあらゆる慾のかえりゆく家を父の顔とならせたまえ

真理

真理によって基督を解くのではない 基督によって 真理の何であるかを知るのだ

死んでしまえば何んにもならない たとえ生きていたにしろ 此の世につくものに本当のちからはない 何にもかもわすれてしまい 人をうらやまず人を恨まず 天を仰いで恥かしくなくしていたい

生活と詩

神は愛である 生活は詩である 愛は神ではない 詩は生活ではない しかも愛は神でありたい 詩は生活でありたい

赤い花

赤い花をもって 子供が基督のそばにいる そして話をしている