中原中也の年譜

明治40年
山口県吉敷郡山口町に、父謙助、母福の長男として生まれる。軍医の父が旅順病院付けとなり、旅順に赴く。
明治41年
山口の自宅に帰る。
明治42年
広島市上柳町に移る。
明治45年
金沢市野田寺町に移る。
大正 3年
山口に帰る。
大正 4年
弟が死去し、はじめて詩作をする。
大正 9年
婦人画報」に短歌「筆とりて」入選。
「防長新聞」に「冬されよ」「菓子くれと」など8首入選。
大正10年
「防長新聞」に「ユラユラと」「天下の人」など6首入選。
大正11年
「防長新聞」に「橋などに」「遠ざかる」「麦の香の」「昼たちし」「地を嗅ぎて」「海原は」「欠伸して」「蚊を焼けど」「可愛ければ」「夏の日は」「去りてゆく」「人みなを」「やはらかき」「やせ馬の」「アルプスの」「たふれたる」「何処かに」など40首入選。
吉田緒佐夢、宇佐川紅萩とともに「末黒野」を刊行し、「温泉集」と題して28首を発表。
大正12年
「防長新聞」に「玄関に」「吹雪夜の」など26首入選。
詩人永井叔を知り、彼を通じて女優長谷川泰子を知る。
大正13年
長谷川泰子と同棲し上京区に住む。
「詩の宣言」、小説「耕二のこと」「蜻蛉」、戯曲「夢」を書く。
大正14年
小説「鉄拳を喰つた少年」「医者と赤ン坊」、詩「秋の愁嘆」を書く。
泰子と共に上京したが、泰子が去る。
このころ詩に専念する決心がほぼ固まる。
大正15年
日本大学予科文科に入学するが5ヶ月ほどで退学する。
詩「むなしさ」「朝の歌」「臨終」を書く。
「山繭」富永太郎追悼号に「夭折した富永」を発表。
昭和 2年
詩「無題(疲れた魂と心の上に)」、「小詩論―小林秀雄に」を書く。
昭和 3年
詩「幼かりし日に」「空しき秋」「女よ」を書く。父謙助死去。
「スルヤ」に「朝の歌」「臨終」が諸井三郎作曲の歌詞として掲載される。
「スルヤ」に「生と歌」を発表。
昭和 4年
同人雑誌「白痴群」を創刊。
「白痴群」に「詩友に」「寒い夜の自我像」「夏」「木陰」を発表。
「生活者」に「月」「都会の夏の夜」「黄昏」「逝く夏の歌」「悲しき朝」「春」「朝の歌」「サーカス」「春の夜」「港市の秋」「春の思い出」「秋の夜空」を発表。
「社会乃国家」に「ヂェラル・ド。ネルヴァル」、ヴェルレーヌ「トリスタン・コルビエール」訳を発表。
「アルテミス」「レ・シダリーズ」「セレナード」「黒点」を翻訳紹介。
昭和 5年
「白痴群」に「修羅街輓歌」「暗い天候三つ」「みちこ」「嘘つきに」「我が祈り」「盲目の秋」「我が喫煙」「失せし希望」「無題」「つみびとの歌」「雪の宵」「生い立ちの歌」「時こそ今は・・・」「更くる夜」、「詩に関する話」、ヴェルレーヌ「ポーヴル・レリアン」訳を発表。
「白痴群」廃刊。
「社会乃国家」にルフェーヴル「マックス・ヂャコブとの一時間」訳を発表。
「スルヤ」に「帰郷」「失せし希望」「老いたる者をして」を発表。
フィルハーモニー」に「音楽と世態」を発表。
「桐の花」に「湖上」「夏と私」を発表。
「社会乃国家」に「ヴェルレーヌ訪問記」訳を発表。
中央大学予科編入学
昭和 6年
詩集「山羊の歌」を製作。
東京外語専修科入学。
昭和 7年
世界音楽全集27巻「日本歌曲集」に「朝の歌」「臨終」「帰郷」「失せし希望」が収録される。
クルトピスター「ゴッホ」訳を安原の名で玉川学園出版部から玉川文庫として刊行。
詩集「山羊の歌」を印刷。
昭和 8年
外語専修科修了。
「半仙戯」にマラメルの散文詩「未来の現象」訳、リヴィエール「ボオドレエル」訳、ヴィヨン「プチ・テスタマン抄」訳を発表。
「四季」に「帰郷」「逝く夏の歌」「少年時」を発表。
「紀元」に「凄じき黄昏」「秋」「秋の一日」「夏の日の歌」「春の思い出」、ヴェルレーヌ「ポーヴル・レリアン」訳、ランボー「カシスの川」訳を発表。
「小冊子」にランボー「失われた毒薬」訳を発表。
昭和 9年
長男文也生まれる。
三好達治と分担でランボーの全訳を始める。「紀元」の同人を脱退。
「山羊の歌」を文圃堂より刊行。
「紀元」に「月」「汚れつちまつた悲しみに」「ピチベの哲学」「サrカス」「骨」「つみびとの歌」を発表。
「鷭」に「憔悴」「悲しき朝」を発表。
「文芸」に「臨終」を発表。
「半仙戯」に「去年の秋の手紙」を発表。
「文学界」に「詩と其の伝統」を発表。
「四季」に「みちこ」を発表。
「日本歌人」に「修羅街輓歌」を発表。
青い花」に「港市の秋」「凄まじき黄昏」を発表。
「コギト」に「わが喫煙」を発表。
「ラ・フゥルミ」にランボーの数点を訳載。
昭和10年
「詩精神」で北川冬彦草野心平らと「詩人座談会」。上京。
逸見猶吉、草野心平らの「歴程」の同人となる。「四季」の同人となる。
「四季」に「秋の一日」「近時詩壇寸感」「むなしさ」「我がヂレンマ」「倦怠」「夏の夜に覚めてみた夢」「詩人は辛い」「青い瞳」を発表。
「日本歌人」に「黄昏」「女給達」を発表。
「文学界」に「春と赤ン坊」「雲雀」「朝鮮女」「この小児」「初夏の夜」「夏の明方年長妓が歌つた」を発表。
「日本詩」に「冬の夜」
宮沢賢治研究」に「宮沢賢治全集」を発表。
「歴程」に「北の海」「寒い!」を発表。
帝国大学新聞」に「早春の風」を発表。
早稲田大学新聞」に「雨の降るのに」「落日」を発表。
「レツェンゾ」に「宮沢賢治の詩」
「詩人時代」に随筆「夏」を発表。
「旗」に「秋日狂乱」
「文学会」他にランボーの詩数点を訳載。
昭和11年
長男文也死去。次男愛雅生まれる。
ランボオ詩抄」を山本書店から刊行。
「文学界」に「含羞」「冬の日の記憶」「春の日の歌」「思ひ出す牧野信一」「六月の雨」「春宵感懐」「思ひ出」「秋の一日」「幻影」「言葉なき歌」を発表。
「四季」に「除夜の鐘」「冷たい夜」「冬の賦」「独身者」「わが半生」「夜更の雨」「幼獣の歌」「ゆきてかへらぬ」を発表。
「歴程」に「閑寂」「童女」「深更」「白紙」「お道化うた」「冬の明け方」、評論「作家と孤独」「はるかぜ」「あばずれ女の亭主が歌つた」を発表。
「文芸汎論」に「頑是ない歌」「三歳の記憶」「一つのメルヘン」を発表。
「詩人時代」に「倦怠」を発表。
「文学雑誌」に「春」を発表。
「作品」に「雨の日」「現代と詩人」を発表。
「改造」に「雲天」を発表。を発表。
「鵲」に「夢」を発表。を発表。
「文芸通信」に評論「山羊の言」を発表。
「文芸」に「海の詩」を発表。
婦人公論」に「残暑」を発表。
「文芸懇話会」に「秋を呼ぶ雨」を発表。
「むらさき」に「蜻蛉に寄す」を発表。
早稲田大学新聞」に「詩と現代」を発表。
「隼」に「金沢の思ひ出」を発表。
「ペン」に「米子」を発表。
「短歌研究」に「新短歌に就いて」を発表。
「都新聞」に「詩壇への抱負」を発表。
昭和12年
結核性脳膜炎により入院、10月22日死去。享年30歳。「文学界」「四季」「手帳」が中原追悼を特集。
ランボオ詩集」を野田書房から出版。「在りし日の歌」の編集完了。
「文学界」に「また来ん春……」「月の光 その1」「月の光 その2」「冬の長門峡」「春日狂想」「正午」
「四季」に「郵便局」「幻想」「かなしみ」「北沢風景」「村の時計」「或る男の肖像」「雨の朝」「蛙声」「初夏の夜に」「逝ける辻野君」
「新女苑」に「月夜の浜辺」「子守唄よ」
「文芸通信」に「詩壇への願ひ」
「改造」に「聞こえぬ悲鳴」
「文芸懇話会」に「米子」「ひからびた心」
「都新聞」に「渓流」
「文芸汎論」に「夏日静閑」
ふらんす」に「萩原朔太郎評論集」を発表。
昭和13年
次男愛雅死去。「在りし日の歌」創元社から刊行。中原中也賞が制定。



(白凰社 「中原中也詩集」年表等 参考)