かなしくなったときは(6)〜詩の鑑賞〜

gravity22006-06-20


かなしくなったときは(6)から|

(この鑑賞については、私の主観に基づくものであることを始めに断っておきます。)

海を見にゆく

この詩の冒頭の4節は、「どういう時に海を見に行くか」を伝えています。それは古本屋の帰りであり、こころ貧しい朝であり、断絶的に高まった特別な悲しみ−悲劇−によるものではなく、生活の底に比重の違う液体が色をなして残っているような、月日の悲しみの積み重ねとしてその人自身にしみついた感情です。
この点について、「あなたが病気なら」「こころ貧しい朝も」というところから、人によってはこれが特別な状況ではないかと考えるかもしれませんが、その前段では、古本屋という陰を帯びて佇んだ変わりゆくことのない情景を醸し出す所が提示され、そしてこの詩の冒頭に流れる韻律−悲しみについて語っているのに不思議と穏やかで温かなリズムは、この行動が日々の中で絶えず繰り返されることを物語っています。
それゆえに、「かなしくなったときは 海を見に行く」という行為は、日常の生活の中に訪れる自然な営みであり、逆にこの海を見に行く情景を通じて、悲しみということが深くこの詩人の心に根付いていることが分かります。

ああ 海よ

では、その「悲しみを支えているものは何か」と言うことについてですが、無論それはこの詩全体を通して詠われている海に託されています。
海というのは特別なもので、それが砂浜に打ち寄せるサワサワとした白い細波であっても、岸壁を絶えずその波の形に蝕んでいく荒波であっても、その波は永遠に満ち引きを繰り返し、その青の水は幾年もの涙が蓄積されたように塩辛く、そしてそれが両腕を広げた先の何処までも、見渡す限り広がっているのです。
それゆえに人は古くから、悲しみをもっていると海に向かいました。それは、あの波の音が胸の内にまで響くものであるからかもしれないし、その繰り返す波の音が自分の心の奥底の悲しみを洗い流してくれるのかもしれません。そしてまた、その雄大な姿は、自分が抱えているもの、そして自分自身もまた小さな存在であることを悟らせ、その全体に向かって叫んだりするのです。海はそうやって、悲しみを共にしていきます。
それに加えて私は、この詩人が青森県出身だと言うことに興味を持ちます。私はかつて青森の冬の海岸で見たものは、海と山と空の恐ろしく透徹な蒼さであり、鉱物的な風景が悲しみを悲しみとして味わわせる程の美しさでした。
それは雪が作り出した世界であり、山は雪によって遠く薄い蒼へと染め上げられ、そして海は白という雪の色の下で群青色というべき明確な色へと変わっていました。私は今でも海というと、その悲しいまでに蒼い青森の海が思い浮かびます。
そしてまた私達が北という所から受けるイメージには、どこか悲しげな匂いが漂い、悲しみを持った者は引きつけられ、そしてそこでは全ての悲しみが打ち明けられることを待っている様に思えます。

いつかは終る

しかし、海は悲しみを完全に捨てさせるのでしょうか。それは違います。海は悲しみという感情を、何か新しい感情で塗り替えてくれるのではありません。街の中で行われるように、苦痛を快楽で塗り替えようとすることを、自然は許すはずはなく、自然に向き合うと言うことは、悲しみを悲しみとして感じて受け入れる、自分自身と向き合うことです。
確かに海は、人の悲しみの心を洗い上げていきます。それは、人に癒しを与え、救いを与えるものですが、悲しみは悲しみとして残るものです。その全てを忘れてしまったら、それは悲しんだ対象の事を全て忘れてしまうと言うことです。
いつも何か強い刺激を追い求め、その快楽と苦痛の奴隷になっていたのでは、人の感情というものはおかしくなり、楽しいと作られているものを楽しいと受け入れ、悲しいと作られているものを悲しいと受け入れる機械となり、自らの感情を表現できないようになります。
喜びも、悲しみも、人は忘れずに持ち歩いていきます。たとえその結果として、悲しみの方が大きかったとしても、それはまた正しいのです。どんなつらい朝も、どんなむごい夜も、必ず終わりはあり、悲しみは悲しみとして受け入れられるものであり、その感情に向き合う友としてを、海は常に傍にあり続けることが語られています。
けれども、その感情の一つ一つのが完全に受け入れられるまでには長い月日を要するものです。一度静まった感情でも、それは度々壁を越えて溢れ出しそうになったり、あるいはそれらの悲しみの集まりが、心の底に巣くうようになって人を苛むようになることがあります。そういう時はまた、詩の冒頭に戻って、海を見に行くのです。
そして、やがて人の命は終わりを迎えるのです。

海だけは終らないのだ

普通なら、ここで悲しみと海の関係は完結するのでしょう。自分の中に巣くうこの悲しみは、この自らの肉体・心の消滅と共に、全てが消えて無くなります。そして、かなしくなったときは海を見に行くという、潮の満ち引きのような、繰り返しの日常は終わります。
しかし、詩人は森羅万象に心を感じるものです。そのため、そこから詩人は自らと悲しみを共有している、海の事を思うのです。海は永遠にその満ち引きを止めません。渚を泡立て流離っては、自らの同胞に飲見込まれてその奥へと帰って行くのです。
その波は、かつて詩人がこの海を訪れて、自らの心を洗い清めていった波であり、その海はその詩人の悲しみを感じて、そしてその悲しみを共有し、その深い海という一つに帰って行ったのです。そしてその悲しみは、詩人の死後も変わらずにこの広大な海を彷徨い続け、海の底に沈んだ思いも時には嵐により海面に巻き上げられ、そしてうねりをなして浜辺へと向かい、それから誰か別の人の悲しみを受け入れる細波となるのです。
海は、いつから人の心を洗うようになったのでしょうか。ある昔、大きな水たまりに、自分ではどうすることも出来ない深い悲しみを持ったものが訪れた。そのものは、ずっとその水たまりの水面に、その悲しみを映して、悲しみと自分自身を見つめていった。
一方、水たまりは、幾日も映し出される人の悲しみを見つめたが、自分にはどうすることも出来ず、ただその懊悩だけが水平線にうねりとなって現れた。そしてその幾つもの複雑な感情は様々な波となり、その水まりの水辺にまで打ち上げられるようになってしまった。そして砂浜をさすらっていく。
そういう海の事を考えると、詩人はまた、かなしい心をもったまま、誰からも離れたまま独り、海の傍らに微笑むのです。その波の一つ一つに、海の懊悩と複雑な悲しみ、そして人の託した悲しみが永遠に彷徨っていることを見つめて。
この繋がっている海のどこかで、知らない誰かが産み落とした悲しみの波には、今の自分の悲しみの全て受け入れるための、術(すべ)があるのかもしれません。

(2006.5.21執筆-6.18推敲)