秋風のこころよさに

ふるさとの空《そら》遠《とほ》みかも
高《たか》き屋《や》にひとりのぼりて
愁《うれ》ひて下《くだ》る

皎《かう》として玉《たま》をあざむく少人《せうじん》も
秋《あき》来《く》といふに
物《もの》を思《おも》へり

かなしきは
秋風《あきかぜ》ぞかし
稀《まれ》にのみ湧《わ》きし涙《なみ》の繁《しじ》に流《なが》るる

青《あを》に透《す》く
かなしみの玉《たま》に枕《まくら》して
松《まつ》のひびきを夜《よ》もすがら聴《き》く

神寂《さ》びし七山《ななやま》の杉《すぎ》
火《ひ》のごとく染《そ》めて日《ひ》入《い》りぬ
静《しづ》かなるかな

そを読《よ》めば
愁《うれ》ひ知《し》るといふ書《ふみ》焚《た》ける
いにしへ人《びと》の心《こころ》よろしも

ものなべてうらはかなげに
暮《く》れゆきぬ
とりあつめたる悲《かな》しみの日《ひ》は

水潦《みづたまり》
暮《く》れゆく空《そら》とくれなゐの紐《ひも》を浮《うか》べぬ
秋雨《あきさめ》の後《のち》

秋《あき》立《た》つは水《みづ》にかも似《に》る
洗《あら》はれて
思《おも》ひことごと新《あたら》しくなる

愁《うれ》ひ来《き》て
丘《おか》にのぼれば
名《な》も知《し》らぬ鳥《とり》啄《ついば》めり赤《あか》き茨《ばら》の実《み》

秋《あき》の辻《つじ》
四《よ》すぢの路《みち》の三《み》すぢへと吹《ふ》きゆく風《かぜ》の
あと見《み》えずかも

秋《あき》の声《こゑ》まづいち早《はや》く耳《みみ》に入《い》る
かかる性《さが》持《も》つ
かなしむべかり

目《め》になれし山《やま》にはあれど
秋《あき》来《く》れば
神《かみ》や住《す》まむとかしこみて見《み》る

わが為《な》さむこと世《よ》に尽《つ》きて
長《なが》き日《ひ》を
かくしもあはれ物《もの》を思《おも》ふか

さらさらと雨《あめ》落《お》ち来《きた》り
庭《には》の面《も》の濡《ぬ》れゆくを見《み》て
涙《なみだ》わすれぬ

ふるさとの寺《てら》の御廊《みらう》に
踏《ふ》みにける
小櫛《をぐし》の蝶《てふ》を夢《ゆめ》にみしかな

こころみに
いとけなき日《ひ》の我《われ》となり
物《もの》言《い》ひてみむ人《ひと》あれと思《おも》ふ

はたはたと黍《きび》の葉《は》鳴《な》れる
ふるさとの軒端《のきば》なつかし
秋風《あきかぜ》吹《ふ》けば

摩《す》れあへる肩《かた》のひまより
はつかにも見《み》きといふさへ
日記《にき》に残《のこ》れり

風流男《みやびを》は今《いま》も昔《むかし》も
泡雪《あわゆき》の
玉手《たまで》さし捲《ま》く夜《よ》にし老《お》ゆらし

かりそめに忘《わす》れても見《み》まし
石《いし》だたみ
春《はる》生《お》ふる草《くさ》に埋《うも》るるがごと

その昔《むかし》揺籃《ゆりかご》に寝《ね》て
あまたたび夢《ゆめ》にみし人《ひと》か
切《せち》になつかし

神無月《かみなづき》
岩手《いはて》の山《やま》の
初雪《はつゆき》の眉《まゆ》にせまりし朝《あさ》を思《おも》ひぬ

ひでり雨《あめ》さらさら落《お》ちて
前栽《せんざい》の
萩《はぎ》のすこしく乱《みだ》れたるかな

秋《あき》の空《そら》廓寥《くわくれう》として影《かげ》もなし
あまりにさびし
烏《からす》など飛《と》べ

雨後《うご》の月《つき》
ほどよく濡《ぬ》れし屋根瓦《やねがはら》の
そのところどころ光《ひか》るかなしさ

われ饑《う》ゑてある日《ひ》に
細《ほそ》き尾《を》を掉《ふ》りて
饑《う》ゑて我《われ》を見《み》る犬《いぬ》の面《つら》よし

いつしかに
泣《な》くといふこと忘《わす》れたる
我《われ》泣《な》かしむる人《ひと》のあらじか

汪然《わうぜん》として
ああ酒《さけ》のかなしみぞ我《われ》に来《きた》れる
立《た》ちて舞《ま》ひなむ

【いとど】*1《いとど》鳴《な》く
そのかたはらの石《いし》に踞《きよ》し
泣《な》き笑《わら》ひしてひとり物《もの》言《い》ふ

力《ちから》なく病《や》みし頃《ころ》より
口《くち》すこし開《あ》きて眠《ねむ》るが
癖《くせ》となりにき

人《ひと》ひとり得《う》るに過《す》ぎざる事《こと》をもて
大願《たいぐわん》とせし
若《わか》きあやまち

物《もの》怨《ゑ》ずる
そのやはらかき上目《うはめ》をば
愛《め》づとことさらつれなくせむや

かくばかり熱《あつ》き涙《なみだ》は
初恋《はつこひ》の日《ひ》にもありきと
泣《な》く日《ひ》またなし

長《なが》く長《なが》く忘《わす》れし友《とも》に
会《あ》ふごとき
よろこびをもて水《みづ》の音《おと》聴《き》く

秋《あき》の夜《よ》の
鋼鉄《はがね》の色《いろ》の大空《おほそら》に
火《ひ》を噴《は》く山《やま》もあれなど思《おも》ふ

岩手山《いはてやま》
秋《あき》はふもとの三方《さんぱう》の
野《の》に満《み》つる虫《むし》を何《なに》と聴《き》くらむ

父《ちち》のごと秋《あき》はいかめし
母《はは》のごと秋《あき》はなつかし
家《いへ》持《も》たぬ児《こ》に

秋《あき》来《く》れば
恋《こ》ふる心《こころ》のいとまなさよ
夜《よ》もい寝《ね》がてに雁《かり》多《おほ》く聴《き》く

長月《ながつき》も半《なか》ばになりぬ
いつまでか
かくも幼《をさな》く打出《うちい》でずあらむ

思《おも》ふてふこと言《い》はぬ人《ひと》の
おくり来《き》し
忘《わす》れな草《ぐさ》もいちじろかりし

秋《あき》の雨《あめ》に逆反《さかぞ》りやすき弓《ゆみ》のごと
このごろ
君《きみ》のしたしまぬかな

松《まつ》の風《かぜ》夜昼《よひる》ひびきぬ
人《ひと》訪《と》はぬ山《やま》の祠《ほこら》の
石馬《いしうま》の耳《みみ》に

ほのかなる朽木《くちき》の香《かを》り
そがなかの蕈《たけ》の香《かを》りに
秋《あき》やや深《ふか》し

時雨《しぐれ》降《ふ》るごとき音《おと》して
木《こ》伝《づた》ひぬ
人《ひと》によく似《に》し森《もり》の猿《さる》ども

森《もり》の奥《おく》
遠《とほ》きひびきす
木《き》のうろに臼《うす》ひく侏儒《しゆじゆ》の国《くに》にかも来《き》し

世《よ》のはじめ
まづ森《もり》ありて
半神《はんしん》の人《ひと》そが中《なか》に火《ひ》や守《まも》りけむ

はてもなく砂《すな》うちつづく
戈壁《ゴビ》の野《の》に住《す》みたまふ神《かみ》は
秋《あき》の神《かみ》かも

あめつちに
わが悲《かな》しみと月光《げつくわう》と
あまねき秋《あき》の夜《よ》となれりけり

うらがなしき
夜《よる》の物《もの》の音《ね》洩《も》れ来《く》るを
拾《ひろ》ふがごとくさまよひ行《ゆ》きぬ

旅《たび》の子《こ》の
ふるさとに来《き》て眠《ねむ》るがに
げに静《しづ》かにも冬《ふゆ》の来《き》しかな

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*1:「むしへん」に「車」