落葉の煙

青桐《あをぎり》、楓《かへで》、朴《ほう》の木の
落葉《おちば》あつめて、朝の庭、
焚《た》けば、秋行くところまで、
けむり一条蕭条《いちすぢしやうでう》と
蒼《あを》小渦《ささうづ》の柱《はしら》して、
天《あめ》のもなかを指ざしぬ。

ああほほゑみの和風《やはかぜ》に
揺《ゆ》りおこされし春の日や、
またあこがれの夏の日の
日熾《ひさか》る庭に、生命の
きほひの色をもやしける
栄《さかえ》や、如何に。──消えうせぬ、
過ぎぬ、ほろびぬ、夢のあと。
今ただ冷ゆる灰《はい》のこし、
のぼる煙も、見よやがて、
地《つち》をはなれて、消えて行く。──

これよろこびのうたかたの
消ゆる嘆きか、悲しみか。
さあれど、然《さ》れど、人よ今
しばし涙を抑《をさ》へつつ、
思はずや、この一条《ひとすぢ》の
きゆる煙のあとの跡。

春ありき、また夏ありき。──
その新心地《にひごこち》、深緑《ふかみどり》、
再び、永遠《とは》にここには訪ひ来《こ》ぬや。
よし来《こ》ずもあれ。さもあらば、
この葉を萌《も》やし、光を、生命を
あたへし力《ちから》、ああ其『力』、また、
今この消ゆる煙ともろともに
消えて、ほろびて、あとなきか。
見ゆるものこそ消えもすれ、
見えざる光、いづこにか
消ゆべき、いかに隠るべき。

さらば、ただこの枯葉さへ、
薄煙《うすけむり》さへ、消えさりて、
却《かへ》りて見えぬ、大いなる
高き力ともろともに、
渾《すべ》ての絶えぬ生命の
奥の光被《くわうひ》に融《と》けて入る
不朽のいのち持たざるか。

人よ、にはかに『然《さ》なり』とは
答ふる勿れ。されどかく
思ふて、今し消えて行く
けむり見るだに、うす暗き
涙の谷《たに》に落とすべく、
われらのいのちあまりに尊ときを
値多きを感ぜずや。

(甲辰十二月十二日) 

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