鷲の歌

みるめの草は青くして海の潮《うしほ》の香《か》にゝほひ
流れ藻の葉はむすぼれて蜑の小舟にこがるゝも
あしたゆふべのさだめなき大竜神《おほたつがみ》の見る夢の
闇《くら》きあらしに驚けば海原《うなばら》とくもかはりつゝ

とくたちかへれ夏波に友よびかはす浜千鳥
もしほやく火はきえはてて岩にひそめるかもめどり
蜑は苫やに舟は磯いそうちよする波ぎはの
削りて高き巌角《いはかど》にしばし身をよす二羽の鷲

いかづちの火の岩に落ち波間《なみま》に落ちて消ゆるまも
寢みだれ髮か黒雲《くろくも》の風にふかれつそらに飛び
葡萄の酒の濃紫いろこそ似たれ荒波《あらなみ》の
波のみだれて狂ひよるひゞきの高くすさまじや

翼《つばさ》の骨をそばだてゝすがたをつゝむ若鷲の
身は覆羽《おほひば》やさごろもや腋羽《ほろば》のうちにかくせども
見よ老鷲はそこ白く赤すぢたてる大爪に
岩をつかみて中高き頭《かしら》静かにながめけり

げに白髮《しらかみ》のものゝふの剣《つるぎ》の霜を払ふごと
唐藍《からあゐ》の花ますらをのかの青雲《あをぐも》を慕ふごと
黄葉《もみぢ》の影に啼く鹿の谷間《たにま》の水に喘《あへ》ぐごと
眼《まなこ》鋭く老鷲は雲の行くへをのぞむかな

わが若鷲はうちひそみわが老鷲はたちあがり
小河に映《うつ》る明星の澄めるに似たる眼《まなこ》して
黒雲《くろくも》の行く大空《おほそら》のかなたにむかひうめきしが
いづれこゝろのおくれたり高く烈《はげ》しとさだむべき

わが若鷲は琴柱尾《ことぢを》や胸に文《あや》なす鷸《しぎ》の斑《ふ》の
承毛《うけげ》は白く柔和《やはらか》に谷の落《おと》し羽《は》飛ぶときも
湧きて流るゝ真清水《ましみづ》の水に翼《つばさ》をうちひたし
このめる蔭は行く春のなごりにさける花躑躅

わが老鷲は肩剛く胸腹《むなばら》廣く溢れいで
烈しき風をうち凌ぐ羽《はね》は著《しる》くもあらはれて
藤の花かも胸の斑《ふ》や髀《もゝ》に甲《よろひ》をおくごとく
鳥《とり》の命《いのち》の戦ひに翼にかゝる老の霜

げにいかめしきものゝふの盾《たて》にもいづれ翼をば
張りひろげたる老鷲のふたゝびみたび羽《は》ばたきて
踴れる胸は海潮《うみじほ》の湧きつ流れつ鳴るごとく
力あふれて空高く舞ひたちあがるすがたかな

黒岩茸の岩ばなに生ふにも似るか若鷲の
巌角《いはかど》深く身をよせて飛ぶ老鷲をうかゞふに
紋は花菱舞ひ扇ひらめきかへる疾風《はやかぜ》の
わが老鷲を吹くさまは一葉《ひとは》を振《ふ》るに似たりけり

たゝかふためにうまれては羽《はね》を剣《つるぎ》の老鷲の
うたんかたんと小休なき熱き胸より吹く気息《いき》は
色くれなゐの火炎《ほのほ》かもげに悲痛《かなしみ》の湧き上り
勁《つよ》き翼をひるがへしかの天雲《あまぐも》を凌ぎけり

光《ひかり》を慕ふ身なれども運命《さだめ》かなしや老鳥《おいとり》の
一こゑ深き苦悶《くるしみ》のおとをみそらに残しおき
金糸《きんし》の縫の黒繻子の帯かとぞ見る黒雲《くろくも》の
羽袖のうちにつゝまれて姿はいつか消えにけり

あゝさだめなき大空のけしきのとくもかはりゆき
闇《くら》きあらしのをさまりて光にかへる海原や
細くかゝれる彩雲《あやぐも》はゆかりの色の濃紫
薄紫のうつろひに楽しき園となりけらし

命を岩につなぎては細くも糸をかけとめて
腋羽《ほろは》につゝむ頭《かしら》をばうちもたげたる若鷲の
鉤《はり》にも似たる爪先の雨にぬれたる岩ばなに
かたくつきたる一つ羽《ば》はそれも名残か老鷲の

霜ふりかゝる老鷲の一羽《ひとは》をくはへ眺むれば
夏の光にてらされて岩根にひゞく高潮《たかしほ》の
碎けて深き海原《うなばら》の巌角《いはかど》に立つ若鷲は
日影にうつる雲さして行くへもしれず飛ぶやかなたへ

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