2005-11-02から1日間の記事一覧

深林の逍遙

力を刻《きざ》む木匠《こだくみ》の うちふる斧のあとを絶え 春の草花《くさばな》彫刻《ほりもの》の 鑿《のみ》の韻《にほひ》もとゞめじな いろさまざまの春の葉に 青一筆《あをひとふで》の痕《あと》もなく 千枝《ちえ》にわかるゝ赤樟《あかくす》も …

花によりそふ鶏《にはとり》の 夫《つま》よ妻鳥《めどり》よ燕子花《かきつばた》 いづれあやめとわきがたく さも似つかしき風情《ふぜい》あり 姿やさしき牝鶏《めんどり》の かたちを恥づるこゝろして 花に隠るゝありさまに 品かはりたる夫鳥《つまどり》…

松島瑞巌寺に遊び葡萄栗鼠の木彫を観て

舟路《ふなぢ》も遠し瑞巌寺 冬逍遙《せうえう》のこゝろなく 古き扉に身をよせて 飛騨《ひだ》の名匠《たくみ》の浮彫《うきぼり》の 葡萄のかげにきて見れば 菩提《ぼだい》の寺の冬の日に 刀《かたな》悲《かな》しみ鑿《のみ》愁《うれ》ふ ほられて薄き…

望郷

寺をのがれいでたる僧のうたひし そのうた いざさらば これをこの世のわかれぞと のがれいでゝは住みなれし 御寺《みてら》の蔵裏《くり》の白壁《しらかべ》の 眼にもふたゝび見ゆるかな いざゝらば 住めば仏のやどりさへ 火炎《ほのほ》の宅《いへ》となる…

別離

人妻をしたへる男の山に登り其 女の家を望み見てうたへるうた 誰《たれ》かとゞめん旅人《たびびと》の あすは雲間《くもま》に隠るゝを 誰か聞くらん旅人の あすは別れと告げましを 清《きよ》き恋とや片《かた》し貝《がひ》 われのみものを思ふより 恋は…

強敵

一つの花に蝶と蜘蛛 小蜘蛛は花を守《まも》り顔 小蝶は花に酔ひ顔に 舞へども舞へどもすべぞなき 花は小蜘蛛のためならば 小蝶の舞《まひ》をいかにせむ 花は小蝶のためならば 小蜘蛛の糸をいかにせむ やがて一つの花散りて 小蜘蛛はそこに眠れども 羽翼《…

月光

しづかにてらせる 月のひかりの などか絶間なく ものおもはする さやけきそのかげ こゑはなくとも みるひとの胸に 忍び入るなり なさけは説《と》くとも なさけをしらぬ うきよのほかにも 朽ちゆくわがみ あかさぬおもひと この月かげと いづれか声なき いづ…

逃げ水

ゆふぐれしづかに ゆめみんとて よのわづらひより しばしのがる きみよりほかには しるものなき 花かげにゆきて こひを泣きぬ すぎこしゆめぢを おもひみるに こひこそつみなれ つみこそこひ いのりもつとめも このつみゆゑ たのしきそのへと われはゆかじ …

雲のゆくへ

庭にたちいでたゞひとり 秋海棠《しゅうかいどう》の花を分け 空ながむれば行く雲の 更《さら》に秘密を闡《ひら》くかな 目次に戻る

秋風の歌

さびしさはいつともわかぬ山里に 尾花みだれて秋かぜぞふく しづかにきたる秋風の 西の海より吹き起り 舞ひたちさわぐ白雲《しらくも》の 飛びて行くへも見ゆるかな 暮影《ゆふかげ》高く秋は黄の 桐の梢の琴の音《ね》に そのおとなひを聞くときは 風のきた…

知るや君

こゝろもあらぬ秋鳥《あきどり》の 声にもれくる一ふしを 知るや君 深くも澄《す》める朝潮《あさじほ》の 底にかくるゝ真珠《しらたま》を 知るや君 あやめもしらぬやみの夜に 静《しづか》にうごく星くづを 知るや君 まだ弾《ひ》きも見ぬをとめごの 胸に…

えにし

わが手に植ゑし白菊の おのづからなる時くれば 一もと花の暮陰《ゆふぐれ》に 秋に隠《かく》れて窓にさくなり 目次に戻る

傘のうち

二人《ふたり》してさす一張《ひとはり》の 傘に姿をつゝむとも 情《なさけ》の雨のふりしきり かわく間《ま》もなきたもとかな 顔と顔とをうちよせて あゆむとすればなつかしや 梅花《ばいくわ》の油黒髪《くろかみ》の 乱れて匂ふ傘のうち 恋の一雨《ひと…

一得一失

君がこゝろは蟋蟀《こほろぎ》の 風にさそはれ鳴くごとく 朝影《あさかげ》清《きよ》き花草《はなぐさ》に 惜《を》しき涙をそゝぐらむ それかきならす玉琴の 一つの糸のさはりさへ 君がこゝろにかぎりなき しらべとこそはきこゆめれ あゝなどかくは触れや…

相思

髪を洗へば紫の 小草《をぐさ》のまへに色みえて 足をあぐれば花鳥《はなどり》の われに随ふ風情《ふぜい》あり 目にながむれば彩雲《あやぐも》の まきてはひらく絵巻物 手にとる酒は美酒《うまざけ》の 若き愁《うれひ》をたゝふめり 耳をたつれば歌神《…

狐のわざ

庭にかくるゝ小狐の 人なきときに夜《よる》いでゝ 秋の葡萄の樹の影に しのびてぬすむつゆのふさ 恋は狐にあらねども 君は葡萄にあらねども 人しれずこそ忍びいで 君をぬすめる吾《わが》心 目次に戻る

初恋

まだあげ初《そ》めし前髪《まへがみ》の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛《はなぐし》の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅《うすくれなゐ》の秋の実《み》に 人こひ初《そ》めしはじめなり わがこゝろなき…

秋のうた

秋は来《き》ぬ 秋は来ぬ 一葉《ひとは》は花は露ありて 風の来て弾《ひ》く琴の音《ね》に 青き葡萄は紫の 自然の酒とかはりけり 秋は来ぬ 秋は来ぬ おくれさきだつ秋草《あきぐさ》も みな夕霜《ゆふじも》のおきどころ 笑ひの酒を悲みの 盃《さかづき》に…

懐古

天《あま》の河原《かはら》にやほよろづ ちよろづ神のかんつどひ つどひいませしあめつちの 始《はじめ》のときを誰《たれ》か知る それ大神《おほがみ》の天雲《あまぐも》の 八重かきわけて行くごとく 野の鳥ぞ啼《な》く東路《あづまぢ》の 碓氷《うすひ…

東西南北

男ごゝろをたとふれば つよくもくさをふくかぜか もとよりかぜのみにしあれば きのふは東けふは西 女ごゝろをたとふれば かぜにふかるゝくさなれや もとよりくさのみにしあれば きのふは南けふは北 目次に戻る

昼の夢

花橘の袖の香の みめうるはしきをとめごは 真昼《まひる》に夢を見てしより さめて忘るゝ夜のならひ 白日《まひる》の夢のなぞもかく 忘れがたくはありけるものか ゆめと知りせばなまなかに さめざらましを世に出《い》でゝ うらわかぐさのうらわかみ 何をか…

夏の夜

君と遊ばん夏の夜の 青葉の影の下すゞみ 短かき夢は結ばずも せめてこよひは歌へかし 雲となりまた雨となる 昼の愁《うれ》ひはたえずとも 星の光をかぞへ見よ 楽《たのし》みのかず夜《よ》は尽きじ 夢かうつゝか天の川 星に仮寝の織姫の ひゞきもすみてこ…

流星

門《かど》にたち出《い》でたゞひとり 人待ち顔のさみしさに ゆふべの空をながむれば 雲の宿りも捨てはてゝ 何かこひしき人の世に 流れて落つる星一つ 目次に戻る

かもめ

波に生れて波に死ぬ 情《なさけ》の海のかもめどり 恋の激浪《おほなみ》たちさわぎ 夢むすぶべきひまもなし 闇《くら》き潮《うしほ》の驚きて 流れて帰るわだつみの 鳥の行衛《ゆくへ》も見えわかぬ 波にうきねのかもめどり 目次に戻る

梭の音

梭の音を聞くべき人は今いづこ 心を糸により初《そ》めて 涙ににじむ木綿縞 やぶれし窓に身をなげて 暮れ行く空をながむれば ねぐらに急ぐ村鴉 連にはなれて飛ぶ一羽 あとを慕ふてかあかあと 目次に戻る

母を葬るのうた

うき雲はありともわかぬ大空の 月のかげよりふるしぐれかな きみがはかばに きゞくあり きみがはかばに さかきあり くさはにつゆは しげくして おもからずやは そのしるし いつかねむりを さめいでゝ いつかへりこん わがはゝよ 紅羅《あから》ひく子も ます…

哀歌

中野逍遙をいたむ 秀才香骨幾人憐、秋入長安夢愴然、琴台旧譜【】前柳、風流銷尽二千年、これ中野逍遙が秋怨十絶の一なり。逍遙字は威卿、小字重太郎、予州宇和島の人なりといふ。文科大学の異材なりしが年僅かに二十七にしてうせぬ。逍遙遺稿正外二篇、みな…

天馬

序 老《おい》は若《わかき》は越《こ》しかたに 文《ふみ》に照らせどまれらなる 奇《く》しきためしは箱根山 弥生の末のゆふまぐれ 南の天《あま》の戸《と》をいでゝ よなよな北の宿に行く 血の深紅《くれなゐ》の星の影 かたくなゝりし男さへ 星の光を眼…

高楼

わかれゆくひとををしむとこよひより とほきゆめちにわれやまとはん 妹 とほきわかれに たへかねて このたかどのに のぼるかな かなしむなかれ わがあねよ たびのころもを とゝのへよ 姉 わかれといへば むかしより このひとのよの つねなるを ながるゝみづ…

葡萄の樹のかげ

はるあきにおもひみたれてわきかねつ ときにつけつゝうつるこゝろは 妹 たのしからずや はなやかに あきはいりひの てらすとき たのしからずや ぶだうばの はごしにくもの かよふとき 姉 やさしからずや むらさきの ぶだうのふさの かゝるとき やさしからず…